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続・南京大虐殺についての疑問
南京大虐殺についての疑問の続きです。

前回のエントリーを読んでもらえれば、自民党有志議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相、歴史教育議連)の(2)南京陥落直後の昭和13年に中国政府代表が国際連盟で「南京で2万人の虐殺と数千の暴行があった」と演説したが、対日非難決議案に採用されなかったとの主張が、いかにデタラメであるかが理解してもらえたと思います。

だいたい、調べれば1日でわかることを、議連の方達は「2月から南京攻略当時の新聞記事などを分析し、有識者からの意見聴取も行ってきた」

にもかかわらず

今だに理解できてないって。。。

ただの底なしバカ議員の集まりじゃん。

(ちょっと「えらそう」モードですがお付き合いください(^_^;

今日は続編ということで



(1)南京に多数の特派員を送っていた内外の報道機関の記事に虐殺の記述がない



という議連の主張が本当なのか、調べたことを報告したいと思います。

(こちらが問題の産経の記事:参考までに)
「南京大虐殺は虚構」 歴史教育議連が調査検証


まず、本当に“海外”で報道されなかったのか、以下のリンク先を見てみよう。

「南京事件の真実」より
http://www.nextftp.com/tarari/nankinhodo.htm
世界に知られていた南京事件 事件当時の報道
ロイター通信社のスミス
シカゴ・デイリー・ニューズのA・T・スティール
ニューヨーク・タイムズのT・ダーディン
ニューヨークタイムズのハレット・アベンド
サウスチャイナ・モーニング・ポストのフィッチ
ワシントン・ポスト
マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー
(などなど)

「南京事件 小さな資料集」より
http://www.geocities.jp/yu77799/durdin.html
ニューヨーク・タイムズのT・ダーディン記者の記事
http://www.geocities.jp/yu77799/steele.html
シカゴ・デイリー・ニューズのA・T・スティール記者の記事

「15年戦争資料 @wiki」より
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/59.html
ロイターのスミス記者とシカゴ・デイリー・ニューズのスティール記者の報道



以上のように、“海外”ではどっさりと報道されていた。

※戦後の東京裁判なり南京軍事法廷で認定されたような「事実」や、同じく戦後の現代史家の研究が明らかにしたような事柄がそのまま当時報道されていたわけではありません。そもそも大都市のあちこちで起こっていた大規模な事件の全貌がリアルタイムで直ちに明らかになるわけなどありませんし、ましてほとんどのジャーナリストは南京陥落前に現地を離れていますから。戦場となった都市での取材が大きく制約されるということももちろんあります。しかし南京での日本軍の戦争犯罪が当時から報道されていたこと自体は、疑いの余地のない事実です。(by Apemanさん)





次に“国内”での報道を見てみよう。

日本政府は、南京での日本軍による虐殺、略奪、強姦などを外国のメディアが報じていることを知っていた。

「日本近代史と戦争を研究する」より
http://higeta.blog2.fc2.com/blog-entry-43.html
http://higeta.blog2.fc2.com/blog-entry-44.html
事件当時の「外務省情報部」と「内閣情報部」による
“支那事変に関する各国新聞論調概要”資料

にもかかわらず

日本政府は外国からの報道を厳しく検閲し、国内では一切報道させなかった。
[PDF]http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/nannkinnjiken2_040811.pdf
南京に入城した日本軍は、「南京アトロシティ」(南京大虐殺)として知られる事件を引き起こす。中国兵、捕虜や、「便衣兵」の処刑、住民も無差別に殺害、婦女子へのレイプ、殺害、略奪と放火が繰り返された。当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、193 8年1月6日の日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。鳴乎、之れが皇軍か」と記述している(伊藤隆・ 劉傑編『石射猪太郎日記』中央公論社)。 「南京アトロシティ」は日本側の新聞は厳しく検閲され、一切報道されなかったが、中国側の新聞やアメリカ、ヨーロッパの新聞報道で虐殺の状況が細かく報道されており、 日本の新聞もそれを知っていた。外国出版物の取り締まりは新聞紙法や出版法により国内出版物とほぼ同じであった。外国から各税関を通し、また、郵便物として郵便局を通して国内に入ってきた外国出版物は、内務省図書課にすべて集められて検閲された。 一九三四(昭和9)年十二月二十一日、内務省警保局長は各県知事に「外国出版物ノ取締二関スル件」を通達、厳しい取り締まりを指示した。 満州事変以来、外来出版物の禁止件数がうなぎのぼりに増大し、とくにわが国の国策を批判する外国の新聞、雑誌が目立ったため、国民の目に一切ふれさせないよう に取り締まりを強化した。


このように、国内では国民の目にふれさせないように日本政府が厳しく検閲をしていた事実がはっきりした。



以上をもって、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の「南京に多数の特派員を送っていた内外の報道機関の記事に虐殺の記述がない」という主張が、いかにデタラメであるかがわかったと思う。

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2月って今年の?
> 「2月から南京攻略当時の新聞記事などを分析し、
> 有識者からの意見聴取も行ってきた」

2月!?2月って今年のってことですか。
こーゆー人たちは何年も前からそれなりにちゃんと研究を重ねた上で(都合のいいツマミ食いにしてもいちおー議論のフリできるくらいの情報は積んだ上で)結論に到達して「考える議員の会」を結成したのかと思ってました。
唖然。

たかだか何ヶ月か前に研究を始めた程度の素人が「議員の会」とか名乗るな。
いや、「考えた」議員の会ではなくてこれから「考える」議員の会だからいいのか?じゃ一生考えてなさい。考えるのは勝手だが世界にモノ言うな。

私も確か岩波新書だったかと思いますが、米国だったかどこかの通信社の人が事件当時南京にいて打電した話を読んだように思います。が本棚のどっかに行ってしまい出てこないので発見したらまた書くかも知れません。あるいはやっしゃんさんの挙げられたリストに載っている人物と一緒かも知れません。

ではでは。
エクレア長介 | URL | 2007/06/30/Sat 09:55 [EDIT]
中国の「南京屠殺記念館」に表示してある犠牲者数は三十万人ですよ
記事や資料とは明らかに乖離してますよね

個人的には普通の戦場だったと思いますが
たけ | URL | 2007/06/30/Sat 12:03 [EDIT]
捏造報道したよみうりテレビのやしきたかじんの番組で、南京大虐殺は当時報道されていないという主張を放送していたそうです。
あの番組は亜細亜大の東中野教授を出すぐらいのバカだからやったんでしょうか。
全国ネットの番組でもろくなもの制作していないし、よみうりテレビは免許剥奪してほしいです(笑)
あああ | URL | 2007/06/30/Sat 12:36 [EDIT]
エクレア長介さんへ
おひさしブリです。
そうですね。これからは新聞なども「考える会」と表記してほしいですね(^^
てか、講師陣が否定派のトンデモない人ばかりなんですよね。で、このアホな国会議員達はデマを世間に広めるために国会で取り上げてるわけですから醜い連係プレーですね。ほんとに。。。



あああさんへ
残念ながら関東では「たかじんのナントカ」ってデマ番組放送してないんですよね(^^
醜さはTVタックルの比じゃなさそうっすね。
やっしゃん | URL | 2007/07/01/Sun 02:41 [EDIT]
たけさんへ
>個人的には普通の戦場だったと思いますが<

では、なぜ松井石根は南京虐殺の不作為の罪で処刑されたんでしょうね。

やっしゃんは、カテゴリー・歴史問題のウソ・松原仁というバカ議員が「南京大虐殺」「慰安婦」を否定で

虐殺の 人数については諸説あるが 、さすがに「南京虐殺はなかった」はバカ丸出しと主張してますよ。

30万だとは言ってません。

国際法の基準で人数の大小、虐殺か否かは裁かれたのですから、虚構だ、無かったなどと否定することは東京裁判を否定すること・・・そんな事言ってると従軍慰安婦問題の似の前になっちゃうよ

やっしゃんには記事に集中して欲しいんだから、変なチャチ入れないであげてね。

出しゃばり ほっとより


ほっと一息 | URL | 2007/07/01/Sun 15:04 [EDIT]
戦時中、大物右翼や高級将校の南京虐殺に関する手記
まぁ、ここらの資料はみなさんすでにご存じかと思いますが。。^^こういうのを出すとウヨさんが、また重箱の隅つつくように、ああでもないこうでもないと、のたまうんですよねー 「狭義の・・」みたく^^
たとえば、奥宮さんの目撃した処刑シーン頭を白紙(生まれた赤子のように)にして見れば、武器持ってない無抵抗のもの大量殺戮してるんだから、どう言い訳しようが虐殺じゃんねぇー そんな素朴なこともわからん脳味噌はどうみても壊れてるよねー^^ 

素直な子供が聞いたら頭○×▲??・・・になるよ?^^


『笹川良一の見た! 巣鴨の表情 戦犯獄中秘話』ー南京事件、笹川良一の見た松井石根・谷壽夫ー
敗戦直後、既に南京虐殺を認識していた「右翼の超大物」笹川良一
http://www.asyura2.com/07/war93/msg/517.html

極右翼主義帝国陸軍中佐、及び「右翼の超大物」児玉誉士夫の南京虐殺証言
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/kougun.htm


「私の見た南京事件」奥山正武←航空自衛隊の元空将さんです^^
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/taigaishinryaku_nankinziken_ronsoten.htm

****引用開始****
【実際の虐殺の様子と現場シーンについて】

奥山正武「私の見た南京事件」(p33-41)に、事件当時の虐殺シーンが次のように記述されている

「(第1回目の目撃)そこで、目もあてられないような惨状を目撃した。玄武湖岸やそこに近い湖上に数え切れないほどの数の中国人の死体が投棄されていた。下関の停車場と開源碼頭(波止場)付近を見回っているうちに、陸軍部隊が多数の中国人を文字通り虐殺している現場を見た。碼頭の最も下流の部分には揚子江にそって平坦な岸壁があり、やや広い敷地を挟んで倉庫群があった。そして、その倉庫群の中に、約三十名の中国人を乗せた無蓋のトラックが次々と消えていた。構内の広場に入って見ると、両手を後ろ手に縛られた中国人十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江上に投棄されていた。岸辺に近いところは、かなり深く、目に見えるほどの速さの流れがあったので、ほとんどの死体は下流の方向に流れ去っていた。が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、江岸から少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので、その付近は血の川となっていた。そして、死にきれないものは銃撃によって、止めが刺されていた。

 この一連の処刑は、流れ作業のように、極めて手順よく行なわれていた。大声で指示する人々もいなかった。そのことから見て、明らかに陸軍の上級者の指示によるものであると推察せざるをえなかった。したがって、部外者である私が口を出す余地はないと感じた次第であった。

 そこで、私は、付近にいた一人の若い陸軍士官に、尋ねた。「なぜこのようなことをするのか」。答えて日く、「数日前の夜、一人の勇敢な中国人が、わが陸軍の小隊長級の若い士官十名か十一名かは分かりませんが寝ている寝室に侵入して、全員を刺殺したそうです。そこで、彼らの戦友や部下たちが、報復のために、その宿舎の付近の住民を処刑しているとのことです」。彼の説明が正しかったか否かは私には分からなかった。あるいは、そう説明するように教えられていたのか知れなかった」。
 
 「(第2回目の目撃)十二月二十七日。再び下関に行くことにした。下関の処刑場に近づくと、この日もまた、城内の方から、中国人を乗せた無蓋のトラックが、続々とやってきて、倉庫地帯に消えていた。再び、警戒中の哨兵にことわって、門を入ったところ、前々日と同じような処刑が行なわれていた。そこで、ある種の疑間が生じた。それは、「多数の中国人を、大した混乱もなく、どうして、ここまで連れてくることができるか」ということであった。そこで、処刑場の入口付近にいた一人の下士官に、その理由を尋ねた。ところが、彼は、何のためらいもなく、「城内で、戦場の跡片付けをさせている中国人に、〃腹のすいた者は手を上げよ〃と言って、手を上げた者を食事の場所に連れていくかのようにして、トラックに乗せているとのことです」と説明してくれた。

 そこで、更に、「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」と質間したところ、「上官から、弾薬を節約するために、そうするように命じられているからです」との答が返ってきた。

 このような処刑が、南京占領から二週間近くを経た後の二十五日と二十七日に手際よく行なわれていた。もっとも二十六日と二十五日前と二十七日後にどのような処刑が行なわれていたかは分からなかったが(註 第三○旅回長佐々木到一少将の手記によれば、十二月二十四日までに約一万五千人以上、十二月二十四日から翌年一月五日贖までに数千人の処刑をしたとのことである)、二日間のことから察して、それが戦場にありがちな、一時的な、興盲状態での対敵行動であるとは私には思われなかった。この日もまた、一連の処刑が、ある種の統制のとれた行動であるように感じた。

 私は、この二目間に下関で見た合計約二十台分の、言いかえれぱ、少なくとも合計五百人以上の中国人の処刑だけでも、大虐殺であった、と信じている。もっとも、どれだけの被害者があれば大虐殺であるかについては、人それぞれに見解の相違があるかも知れないが。それらに加えて、玄武湖の湖上や湖岸で見た大量の死体のこととも考え合わせて、正確な数字は分からなかったが、莫大な数の中国人の犠牲者があったのではないか、と考えざるをえなかった。そうだとすれば、それは、明らかに、国際法上の大間題ではないかと思われた。が、当時の私には、そのことを突っ込んで検討する時間的な余裕がなかった。その後間もなく、私自身が作戦飛行に従事せねばならなかったからであった」。
*****引用終わり*****


奥宮正武
元大本営参謀、歴史家。1909~2007。高知県生れ。

1931年 第58期海軍兵学校卒。
1933年 海軍航空隊飛行学生教程修了と同時に、大村海軍航空隊に所属。横須賀航空隊分隊長、霞ヶ 浦航空隊分隊長兼教官
1942年 第4航空隊参謀となり、ミッドウェー作戦、アリューシャン作戦、ガダルカナル作戦などに 参加。
1944年 大本営海軍参謀となる。
1945年 海軍解体により、第二復員省史実調査部で勤務
1948年 退官
1954年 自衛隊に入隊。統合幕僚会議事務局、防衛研修所で国際問題を担当。航空自衛隊の部隊長、 学校長を歴任
1956年、退職時空将退職。

その後も戦史の調査研究に従事。

1964年~松下電器、国際PHP研究所、PHP研究所に勤務、最後はPHP研究所研究顧問。その間、私費で西欧、アフリカ、中近東、南アジア、北アジア、太洋州、南北米の三十一か国を歴訪。平和と戦争に関する調査・研究に従事した。

著書
ミッドウェー、五つの誤算、機動部隊、太平洋戦争、真実の太平洋戦争、真珠湾までの五十年、さらば海軍航空隊など。


おまけ♪

大変いい本と思うので、奥宮正武・淵田美津雄共著の「ミッドウェー」をついでにちと紹介してしまいます^^

日米合作の映画のタイトルにもなった、真珠湾攻撃で有名な無電「トラ・トラ・トラ(我奇襲ニ成功セリ)」を、愛機九七艦上攻撃機から打電した空中攻撃隊総指揮官。空中攻撃隊の名指揮官である。第一航空艦隊、連合艦隊、南方軍参謀などをその後勤めた。敗戦直後180度手のひらを返した日本社会の中で悩み、挫折しキリスト教の伝道師になりかつての敵国の欧米で苦難しながら平和の普及活動をする

本書はミッドウェー海戦を書き表した各国語で翻訳され世界的ベストセラーとなっている。
その研ぎ澄まされた術力と空母部隊の運用で世界無敵を誇った南雲機動部隊が、航空機285機と将兵3057名もろとも手持ちの大型正規空母4隻をすべてを失い壊滅したミッドウェー海戦は、日本が敗戦に転落していくもっとも重要な転機となった。
常に連合艦隊の中枢にあって、太平洋戦争を終始第一線で戦った奥宮正武とミッドウェーで傷ついた淵田美津雄が、自ら参加した同海戦の全貌を戦闘経過と敗因分析により白日のもとに晒した共著「ミッドウェー」は、ミッドウェー海戦をもっとも正しく分析評価した第一級の書と評価され、ダグラス・マッカーサーの母校でエリート軍人養成の名門ウェスト・ポイント(米陸軍士官学校)の教本となった。
著者らが体験した未曾有の壊滅的敗北を通じて、大悲劇を招いた決定的原因である日本人の国民性の欠陥に対しする痛烈な批判と自戒・教訓が述べられている。

ミッドウェー海戦において、米機動部隊に倍する戦力を投入しながら日本機動部隊は一瞬にして壊滅した。本書は、作戦の企図や機動部隊の所在を事前に察知された情報戦の敗北が決定的敗因だという見方があるがそれは二次的なものだと言う。著者は海軍に全責任にあることは全面的認めたうえで、根本的敗因は、日和見主義、放漫さ、因習、視野狭窄、縦割り主義、温情主義、杜撰さ、弱者を見下す思考、自己に都合よく考える習性、無責任さ、自己保身どが、情報戦をはじめとする様々な失策の背後に救われがたいほど横たわっていて、それが未曾有の悲劇を引き起こしたのであると指摘する。そして敗因を突き詰めていくと「日本の国民性の欠陥」にどうしても突き当たらざる得ず、ミッドウェーの悲劇は必然の結果であったと結論づけている。立案から死に至る戦闘行為の過程は、まさに短期間に凝縮された社会の縮図である。筆者らが訴える救いがたい国民的欠陥に対する自戒を込めた警鐘は、今なお、いやむしろ今日にこそ強く心に響いてくる。
本書は、こうしたことを明らかにし、同じ愚を二度と繰り返さないために、我々は如何に思考すべきかということを強く示唆している。

改めてミッドウェー海戦の推移を知ると、不気味なほど今日の世界と重なって見える。
昨今の不透明で不穏な社会情勢に危惧や戸惑いを覚える方々には是非一読をお勧めします。
戦争の悲惨さを知り、愚弄な態度を見抜く「人生の書」のひとつになり得るかもしれません^^


淵田美津雄
日米合作の映画のタイトルにもなった、真珠湾攻撃で有名な無電「トラ、トラ、トラ(我奇襲ニ成功セリ)」を、愛機機上から打電した空中攻撃隊総指揮官。空中攻撃隊の名指揮官である。敗戦直後180度手のひらを返した日本社会の中で悩み、挫折しキリスト教の伝道師になりかつての敵国の欧米で苦難の平和普及活動をする。

1924年 第52期海軍兵学校卒
1933年 重巡「摩耶」分隊長 館山航空隊分隊長 横浜航空隊分隊長
1936年 に昇進
1938年 海軍大学甲種卒業 空母「龍驤」飛行隊長(少佐)
1941年 空母「赤城」飛行隊長 真珠湾攻撃空中攻撃総指揮官(中佐)
1942年 セイロン沖海戦 ミッドウェー海戦 補横空教官 海軍大学教官 
1943年 兼陸大教官 軍令部 第1航空艦隊参謀
1944年 聯合艦隊参謀・南方軍参謀(大佐)
1945年 海軍解体により 第二復員省(旧海軍省)史実調査部員勤務
1948年 連合国総司令部歴史科嘱託勤務
1948年~1966年 アメリカ・ヨーロッパ各地でキリスト教の伝道活動に従事
look | URL | 2007/07/02/Mon 19:32 [EDIT]
前記コメントに対するお詫びと補足
「おまけ♪」で、文冒頭「日米合作の映画のタイトルにもなった、・・・・苦難しながら平和の普及活動をする」は、淵田美津雄さんの経歴前文を間違って再コピペしてしまったものです すいません^^; 

なお、「ミッドウェー」紹介文は、私の勝手なのたまわりでして、評論家先生のもんじゃあーりませんので あしからず^^
look | URL | 2007/07/05/Thu 01:49 [EDIT]

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13日の水曜日 2007/07/01/Sun 07:24
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