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[産経]古森義久が慰安婦問題でデマ報告をする
最近3Kの古森義久氏は、慰安婦問題での史実の捏造報道がバレ、もうゴマカシが効かなくなりヤケになっているのか、自身のブログで元大本営参謀で世日クラブの監査役を務めている統一協会関係者・高橋正二氏のトンデモ報告とやらを連発で紹介している。

あまりにも内容がデタラメなので取り上げることにします。

ちと長いですが、がまんして読んでください。

(「軍による強制連行はなかった」(1)と「従軍慰安婦の仕掛け人たち」(2)のツッコミについては、とりあえず保留中です。)

「米軍も売春女性を徴用した」‐‐元大本営参謀の証言(3)
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/157217/#cmt
(古森ブログ 以下一部引用)
元大本営参謀で戦後は明治薬科大学の理事長などを務めた高橋正二氏の報告を続けます。高橋氏は終戦直後に米軍と直接、接触する「有末機関」の一員だった貴重な体験を経ています。
その有末機関時代に米軍は日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じた経緯が証言されています。
軍隊とセックスというのは、なにも日本軍だけが例外だったわけではないことの証明といえましょう。

以下は高橋氏の報告からの引用です

「米軍も女性の強制徴用を求めていた」

(前略)昭和20年8月24日、厚木飛行場に参りましたが、それはひどい有様でした。先遣隊(隊長テンチ大佐)約150名は28日、マッカーサー司令官は30日、到着し、ただちに横浜へ、私どもは神奈川県庁の一部に陣取り、9月20日、ミズーリ艦上降伏文書調印式における代表団一行の出迎えなどに忙殺されていました。

これら期間を通じて、頭を悩まし続けたのが、進駐軍兵士により暴行、強姦などが毎日毎日、被害の訴えがあることでした。

『進駐軍兵士により治安騒乱のうち、最もてこずったのは日本婦人に対する暴行、強姦などの風紀上の問題であった。最初の訴えに対し、第八軍司令官アイケルバーガー中将は「若い学生がジャングルから飛び出して、広々として校庭に出たようなもの、しばらく我慢してくれ、我々の方でも十分、気をつけるから」との話であったが、来る日も、来る日も、この種の訴えは一向に減る様子もなく、そのたびごとに報告者の悲憤慷慨は想像に絶する激越なものであった』(有末精三著『有末機関長の手記』)

当時、進駐軍軍人、ことに黒人の児を宿して生まれた混血児は3000人ともいわれ、澤田廉三元大使、および美喜夫人の経営するエリザベスサンダーホーム(大磯における孤児院)をはじめ、各種の施設や社会事業などのこれら悲劇の対策は講ぜられたものの、わが国、社会に残した傷跡はまことに残念なことでありました」

進駐軍の初仕事とはなんであったのか

「一、厚木飛行場に先遣隊が進駐してきた日の翌日の8月29日、米軍連絡将校が東京の警視庁に現れ、『娼家の施設をみせろ』と言ってきた(売春施設問題が初仕事ではないか)

二、同年9月28日、東京都衛生局が初めて受けた命令は『女』の問題。都衛生課員の与謝野光博士がGHQ(連合軍総司令部)公衆衛生局長サムス大佐のもとで交渉を開始、都内に残っていた花柳街五箇所および特飲街十七箇所(うち一箇所『千住』のみ日本人用)を接取された。

三、売春施設だけでは満足しない米兵は街の一般婦女子にも手を出し、パンパンガールとして自ら乗り出した日本婦人も現れた。

四、昭和28年2月27日、第十五回国会参議院本会議で、社会党の藤原道子議員の質問演説にも左のとおり触れている(当時の女性議員協議の結果)。

『アメリカ当局には軍紀の励行を望みたい。どうしてもそれができないならば、日本の女性をこれ以上、蹂躙することなく、この際、本国から対象となるべき必要数の女性を呼び寄せて、自国の女性によって性の解決をされるように要望したいのであります。(拍手)』
(以上 全文はソース)





この高橋正二氏って人の証言は、内容だけじゃなく時系列もメチャクチャだなぁ

古森氏は、「米軍は日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じた経緯が証言されています。」などと言ってるが

米軍用の慰安所は、日本政府が国策として敗戦わずか3日後の1945年8月18日には、進駐軍の上陸に備えて、目にもとまらぬ早さで内務省警保局長から警察部長宛の無電通牒を発し、米兵のための慰安所の準備を各都道府県に命じ、全国の警察も慰安婦集めをしています。そして早い自治体では9月3日から営業を開始しています。


以下参考 従軍慰安婦 吉川春子P146~147より
[埼玉県史・通史編7]

昭和20年(1945)8月15日に敗戦により、日本は占領下に入った。埼玉県では9月14日の米陸軍代四三師団の熊谷への「進駐」を皮切りに…占領軍部隊の「進駐」が始まった。その数は20年11月現在で約17000人の多数にのぼった…。
さて、これより前、敗戦からわずか3日後の8月18日、内務省は、警察部長名で「外国軍駐屯地における慰安施設に関する件」の通牒を発した。「性的慰安」を含む、「外国駐屯地慰安施設」の設置・整備を指示したものであった。具体的指示を与えている「整備要綱」から第三・四項を示そう。

三 警察署長は左の営業に付いては積極的に指導を行ない、設備の急速充実を図るものとする。
性的慰安施設
飲食施設
娯楽場

四 営業に必要なる婦女子は芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯者等を優先的に之を充足するものとする。

この通牒をうけて、8月26日、特殊慰安施設協会(RAA)を設立し、東京銀座街頭に「新日本女子に告ぐ」の募集広告を出し、華々しく営業に乗りだしたのである。
(以上)


つまり、米軍が日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じたもなにも、それより前に日本政府が命じてるわけです。

[特殊慰安施設協会(RAA)について]
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c6%c3%bc%ec%b0%d6%b0%c2%bb%dc%c0%df%b6%a8%b2%f1
特殊慰安施設協会は内務省が中心になり占領軍対策として半官半民(5000万円ずつ出資)で設立された。



P152より
[北海道警察史2 昭和編]

その募集については主として業者を通じて行なったが、事の重要性に鑑み警察官自身も直接それに従事した。すなわち警察保管の旧娼妓名簿から前職者の住所・氏名を調査し、彼女らを訪ね毛布、砂糖などを贈って、日本及び日本人のため再び稼働するように説得し、協力を求めた。このような官民挙げての努力により450余名の現職者と合わせて本道の特種慰安婦は総勢770余名に増強された。
(以上)



P158より
[兵庫県警察史 昭和50年3月発行]

慰安所は押すな押すなの大盛況であった。しかし終戦の年も押し詰まった12月15日にGHQ(連合国司令部・吉川)から進駐軍将校に対し慰安所への立ち入り禁止命令が発せられ、MPによる取り締まりがはじまった。このため慰安所はわずか3ヶ月で閉鎖せざるえなくなり、1000名を超える慰安婦は失職し、次第に街娼化していった。いわゆるパンパンガールの出現である。
(以上)


GHQによる公娼廃止指令について
1946年1月、GHQは全兵士にこの公娼施設への立入りを禁止すると共に、「日本の身代金や前借金などの名目で拘束された公娼制度は民主主義に反する」として、「日本に於ける公娼廃止に関する件(覚書)」を発し、日本政府に公娼制度(貸座敷・娼妓)を全て廃止するよう、命令した。

それを受け、1946年2月、日本政府は「廃娼令」を施行した。

こうして、基本的に日本国内の売春行為は非合法となった。

だが、戦後社会の混乱による、そして、進駐軍兵士による婦女暴行事件などを防ぐためにと、1946年11月、日本政府は、私娼取締りを名目として、旧遊廓を事実上存続させる方針を決定した。

GHQは、これを黙認した。GHQも、日本の民主化改革のために公娼制度を廃止したが、実際は、米軍兵士のための売春婦を必要としており、また、性病予防の観点からも、こういった性的慰安施設が必要だったのである。



あと、pr3さんもこんな指摘をされている。

「黙然日記」より
古森義久氏、統一協会関係者を熱心に紹介する。
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070423/1177322897
コメント欄でも指摘されていますが、お年を召した高橋氏の証言にはだいぶ事実誤認があるようですね。言っている内容自体もかなりひどくて、引用部分はそれこそ人種偏見丸出しの上に、混血児が生まれたのはどう考えても占領開始から9ヶ月後以降なんですが(エリザベス・サンダースホーム設立は1948年)、なんで占領開始直後の話をしているときにこの話題が出るのか

以上のことから、古森氏にはデタラメな報告をヤメてもらいたい。

 (RAAに関して間違いがあったので後から追記、修正しました。)

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日経BP古森 義久氏のコラム
4/24 国が謝るとき
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/47/

こちらでも小粋な報告してますね
ちゃら | URL | 2007/04/25/Wed 15:45 [EDIT]
RAAについては、私の手元にある千田夏光さんの『従軍慰安婦悲史』にも載っています。
内務省(警察)と大蔵省が共同して発想・立案し、実施はすべて業者にやらせています。
連合軍第1陣上陸が8月30日。ばたばたと急ごしらえ施設ができたのが8月28日、ということです。そして以下にその一部を引用しますが、声明文が宮城前で読み上げられたそうです。
「……“昭和のお吉”幾千かの人柱の上に……民族の純血を百年の彼方に護持せんとす」
知らずに応募してきた女性達は、声明文を聞かされて、入ったところが慰安所だった、ということだったようです。
その6割は家も家族も失った行き場のない女性達。
もちろん業者はその筋の人。
2重の意味で犠牲になった女性達ですよね。
とむ丸 | URL | 2007/04/25/Wed 22:31 [EDIT]
とむ丸さんへ

実は、RAAのことは、たまたま吉川春子さんの本があったので初めて知りました。
敗戦後3日という早さは、戦中に国が軍慰安所の設置に深く関わっていたことを裏付けるものだ(確かこんな感じ)みたいなことが書いてあったと思いますが、「確かに」と思いましたね。

>その6割は家も家族も失った行き場のない女性達。

こういった二重の苦しみをあじわった多くの戦争被害者がいたことを知ると、この元大本営参謀という人の、国には加害責任はなく被害者だとするような証言が、いかに正確性を欠いた証言であるかがわかりますね。
やっしゃん | URL | 2007/04/26/Thu 03:13 [EDIT]
古森記事
はじめまして、木田貴常 ともうします。
けさ、古森記者がブログで連載した米軍用慰安婦に関するデマ報告を根拠にした「ワシントン=古森記者」の特電が入りました。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/50586/
これはきっと、ネットを駆け巡るデマとなるでしょう。そこで私は、阿修羅という掲示板に速報しました。
http://www.asyura2.com/07/senkyo34/index.html
http://www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/344.html
また、デマである根拠にあなた様のこのエントリーを転載しました。事後であり無礼ではありますが、なにとぞお許しくださるようお願いいたします。
木田貴常 | URL | 2007/05/06/Sun 08:25 [EDIT]

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