1945年(昭和20)3月19日から軍都であった広島県の呉は軍港とその周辺の海軍工場、市街地が米軍により何度も空襲にあいました。戦後、爆撃の効果と威力を調査するため米国戦略爆撃調査団が1946年の3月から4月にかけて撮影したカラーフィルムがあるんですが、その動画をみつけたので紹介します。
こちらのサイトでMPEGファイルをダウンロードすれば解説付きの動画を見れます。
http://kure-sensai.homeip.net/Video/index.htm
>「米国戦略爆撃調査団 呉空襲の被害状況」(解説付き)(30分、280MB)
このカラーフィルムはアメリカ国立公文書館に保管されていたものを1980年代になってから「1フィート運動呉市民の会」を結成し市民各層の協力をえながら買い戻したものだそうです。
動画の内容を簡単にメモしてみました。
00:00~
B29により爆撃された工場、倉庫跡や不発弾、壁に残った艦載機(グラマンF6など)による機銃掃射跡など。
07:52~
ドッグに111隻、集められた*1特殊潜航艇「蛟龍」(こうりゅう)。
08:46~
武装解除された空母などによる復員風景、B29に爆撃された工場跡など。
13:27~
昭和20年3月19日、最初の呉空襲の呉軍港内の主力艦隊の係留図(戦艦「大和」もいます)。
15:20~
ここからは以下のニコニコ動画(ただし、こちらは解説無しのサイレントフィルム)の映像と同じになります。
動画の内容は、
2:48~
船腹に大きな穴があき破損したまま傾いている重巡「青葉」
3:30~
艦首がもぎとられ擱座(かくざ)浸水し、主砲が海水で洗われている戦艦「日向」
8:59~
大破浸水し、主砲が空しく天空に向けられている戦艦「伊勢」
10:42~
飛行甲板が破壊され転覆している空母「天城」
12:00~
擱座浸水している戦艦「榛名」
(以上)
補給を無視しズルズルと戦線を拡大していった日本軍は昭和17年6月のミッドウェー海戦、ついで昭和17年8月にはじまったガダルカナル島の戦いと、以降ことごとく敗戦を重ねていくことになります。制空権も制海権も完全に失い東南アジアからの石油を断たれた海軍は航空機の護衛もないまま呉軍港内に係留されていた戦艦「大和」で「悠久(ゆうきゅう)の大義を守る」という美名のもと沖縄への特攻作戦を敢行しますがたどりつけるはずもなく昭和20年4月7日、九州南方の海上で11本の魚雷と無数の爆弾を浴びて「大和」は沈没します。
残されていた連合艦隊の艦艇も重油がなく身動きできないため呉軍港周辺に水上砲台として利用されますが昭和20年7月24日アメリカ軍機動部隊の艦載機870機、28日には950機により次々に破壊されます。このとき破壊された連合艦隊の最期の姿が上記で紹介した動画の映像になります。
▼呉の空襲については上で紹介したサイトのトップページのリンクを貼っておきます。
呉戦災を記録する会
リンクをたどっていくと「1フィート運動呉市民の会」についてや、このフィルムを使用して作られた映画「赤い月の街ー呉空襲ー」のこと、呉海軍刑務所に収容されていた捕虜のこと、他にも米軍の資料や日本側の資料、空襲体験記などかなり多くの情報が載せてあります。
*1特殊潜航艇「蛟龍」(「蛟竜」とも書くようです)についてはこちらのサイトで詳しく説明されています。
特殊潜航艇「甲標的」「蛟龍」「海龍」ハワイ真珠湾特別攻撃 [鳥飼行博研究室]
「蛟龍」は表向きは最小型の通常動力型潜水艦となっていますが、戦争末期には攻撃用の魚雷が整備されず、隊員の募集が「特攻隊員」として行われ部隊も水中特攻部隊と称していたこと、隊員が体当たり自爆すると認識していたことの3点から人間魚雷として使用するものとして準備されていたそうです。
<参考文献>
p236~238
太平洋戦争 日本の敗因〈1〉日米開戦 勝算なし (角川文庫)
こちらのNHK取材班による「太平洋戦争 日本の敗因シリーズ」〈1〉~〈6〉は平成4年~5年にかけて放送された6本のNスペを出版化したものなんですが、最近、歴史に興味を持った人にはオススメ本です。なお「太平洋戦争 日本の敗因〈4〉責任なき戦場 インパール (角川文庫)
」の放送分はこちら→【ニコニコ動画】ドキュメンタリー太平洋戦争で見ることができます。
こちらのサイトでMPEGファイルをダウンロードすれば解説付きの動画を見れます。
http://kure-sensai.homeip.net/Video/index.htm
>「米国戦略爆撃調査団 呉空襲の被害状況」(解説付き)(30分、280MB)
このカラーフィルムはアメリカ国立公文書館に保管されていたものを1980年代になってから「1フィート運動呉市民の会」を結成し市民各層の協力をえながら買い戻したものだそうです。
動画の内容を簡単にメモしてみました。
00:00~
B29により爆撃された工場、倉庫跡や不発弾、壁に残った艦載機(グラマンF6など)による機銃掃射跡など。
07:52~
ドッグに111隻、集められた*1特殊潜航艇「蛟龍」(こうりゅう)。
08:46~
武装解除された空母などによる復員風景、B29に爆撃された工場跡など。
13:27~
昭和20年3月19日、最初の呉空襲の呉軍港内の主力艦隊の係留図(戦艦「大和」もいます)。
15:20~
ここからは以下のニコニコ動画(ただし、こちらは解説無しのサイレントフィルム)の映像と同じになります。
動画の内容は、
2:48~
船腹に大きな穴があき破損したまま傾いている重巡「青葉」
3:30~
艦首がもぎとられ擱座(かくざ)浸水し、主砲が海水で洗われている戦艦「日向」
8:59~
大破浸水し、主砲が空しく天空に向けられている戦艦「伊勢」
10:42~
飛行甲板が破壊され転覆している空母「天城」
12:00~
擱座浸水している戦艦「榛名」
(以上)
補給を無視しズルズルと戦線を拡大していった日本軍は昭和17年6月のミッドウェー海戦、ついで昭和17年8月にはじまったガダルカナル島の戦いと、以降ことごとく敗戦を重ねていくことになります。制空権も制海権も完全に失い東南アジアからの石油を断たれた海軍は航空機の護衛もないまま呉軍港内に係留されていた戦艦「大和」で「悠久(ゆうきゅう)の大義を守る」という美名のもと沖縄への特攻作戦を敢行しますがたどりつけるはずもなく昭和20年4月7日、九州南方の海上で11本の魚雷と無数の爆弾を浴びて「大和」は沈没します。
残されていた連合艦隊の艦艇も重油がなく身動きできないため呉軍港周辺に水上砲台として利用されますが昭和20年7月24日アメリカ軍機動部隊の艦載機870機、28日には950機により次々に破壊されます。このとき破壊された連合艦隊の最期の姿が上記で紹介した動画の映像になります。
▼呉の空襲については上で紹介したサイトのトップページのリンクを貼っておきます。
呉戦災を記録する会
リンクをたどっていくと「1フィート運動呉市民の会」についてや、このフィルムを使用して作られた映画「赤い月の街ー呉空襲ー」のこと、呉海軍刑務所に収容されていた捕虜のこと、他にも米軍の資料や日本側の資料、空襲体験記などかなり多くの情報が載せてあります。
*1特殊潜航艇「蛟龍」(「蛟竜」とも書くようです)についてはこちらのサイトで詳しく説明されています。
特殊潜航艇「甲標的」「蛟龍」「海龍」ハワイ真珠湾特別攻撃 [鳥飼行博研究室]
「蛟龍」は表向きは最小型の通常動力型潜水艦となっていますが、戦争末期には攻撃用の魚雷が整備されず、隊員の募集が「特攻隊員」として行われ部隊も水中特攻部隊と称していたこと、隊員が体当たり自爆すると認識していたことの3点から人間魚雷として使用するものとして準備されていたそうです。
<参考文献>
p236~238
太平洋戦争 日本の敗因〈1〉日米開戦 勝算なし (角川文庫)
こちらのNHK取材班による「太平洋戦争 日本の敗因シリーズ」〈1〉~〈6〉は平成4年~5年にかけて放送された6本のNスペを出版化したものなんですが、最近、歴史に興味を持った人にはオススメ本です。なお「太平洋戦争 日本の敗因〈4〉責任なき戦場 インパール (角川文庫)
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Comment

ご無沙汰です
呉の被害状況のカラー映像の断片的なモノはYouTubeで見ていたのですが、長いものがあったんですね。早速DLしました。
また、沖縄以外で1フィート運動があったことも知りませんでした。
さらに、NHK番組まで^^
参考になりました。ありがとうございます。
NHK取材班の本は、安い文庫本の割に良い内容ですよね。
あの時代から日本が変われていない部分に気づかされて、愕然としますが(苦笑)
また、沖縄以外で1フィート運動があったことも知りませんでした。
さらに、NHK番組まで^^
参考になりました。ありがとうございます。
NHK取材班の本は、安い文庫本の割に良い内容ですよね。
あの時代から日本が変われていない部分に気づかされて、愕然としますが(苦笑)
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