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渡嘉敷島での軍夫の逃亡事件と第三戦隊による処刑(上)
赤瓦の家―朝鮮から来た従軍慰安婦(筑摩書房、1987年)本書は川田文子氏が1944年に朝鮮から沖縄の渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島の慰安所に連れてこられた朝鮮人女性21人のうちの1人ペ・ポンギさんを取材して書かれたルポタージュなんですが、沖縄戦についても多くの証言が収録されています。その中に渡嘉敷島で曾根という一等兵が慰安婦(キクマルとスズランの2人)と朝鮮人軍夫約20名を連れて米軍に投降した事件について取材されている箇所があるのでOCRかましてP146~P171までをテキスト化してみました。


P146~P160 軍夫の逃亡

一九四五年六月三十日、曾根という一等兵が朝鮮人軍夫を連れて二三四高地を脱出、米軍に投降したという事件があった。第三戦隊の元将兵によれば、この時、慰安所の女も一緒だったという。第三戦隊の隊長であった赤松嘉次氏は次のように語った。

―――女の方は曾根一等兵と一緒、バラバラではとても複廓陣地(二三四高地)を出られません。友軍が陣地の周囲に歩哨(ほしょう)を置いているし、敵との間に距離がある。そこに地雷があるし、夜が明けると米軍にやられるから通れない。
 
当時も今も阿波連(あはれん)に住んでおられ、現地召集された元防衛隊員の大城良平氏は、歩哨に立っていた兵隊から次のように聞いた。

―――その時に姿を見たという歩哨の兵隊によると、やっぱり女連中も鉄兜披って、軍服つけとった、となるがね。

キクマルとスズランは、同胞の軍夫らとともに米軍に投降したようだ。この一団を率いたといわれている曾根一等兵は、赤松元戦隊長によると四国・松山の披差別部落出身で、現地自活班に組込まれていたという。

―――牛なんか殺してうまく料理してくれましたよ。その関係で現地自活班に入っていました。西山(二三四高地)に本部を置いた時、阿波連では自活班が倒れた家の下から塩干とか、いろんな食べ物を掘り出したり、豚とか山羊をとって軍夫が夜運んでくる。それをうまい具合にさばいていました。

現地自活班は主として地元出身の防衛隊員や朝鮮人軍夫で構成されていた。阿波連の現地自活班で炊事班長をしていた大城元防衛隊員は、軍夫逃亡事件の概要を次のように語った。

―――曽根という男は俺の所から逃げた。(中略)軍夫は炊事班に五名はおった。私が炊事班長を務めて、この方たちを使って炊事をやらした。この方たちも皆、曾根がひっぱって逃げた。

大城元防衛隊員の証言から、曾根一等兵が軍夫らと綿密に連絡をとった上での逃亡実行であっただろうことがうかがえる。知念朝睦(ちょうぼく)元副官も同様に指摘した。

―――軍夫、朝鮮の方たち、あのときいっせいにいなくなりました。(中略)曾根一等兵は朝鮮語うまかったんじゃないですか。

私は曾根一等兵に会いたいと思った。曾根一等兵に会えば、キクマルとスズランの戦後の動向までは分からないにしても、渡嘉敷島からの脱出が無事に果たされたか否か分かるはずだ。(中略)曾根一等兵に関しては、実は数年前一度、(厚生省に)本籍調査を依頼したことがある。(中略)本来の目的を曖昧にしたのがいけなかったのだろう。二、三回の電話の対応で断られた。その後、私は出産で身動きとれなくなり、曾根一等兵に会わずにいることが気がかりになりながら原稿を書き進めていた。(中略)改めて厚生省にダイヤルを回し、取材を告げた。(中略)曾根一等兵の名前が見つけ出された。私の胸は高ぶった。数年来、気になりながら出会えずにいた人が、遠い距離を隔ててはいるが、受話器の向こうにいる。

「何でもお話ししますよ。今でも私は自分のしたことが間違いであったとは思わないし、何ら後めたいところもありません」きっぱりとした口調であった。「今でも残念でならないのは、日本の兵隊を一人も連れて来れなかったことです。あの後、戦友が何人も死んでいます。なぜ、あの時、誘い出せなかったのか……」

(中略)曾根氏は松山の出身ではなかった。松山の近くの土居町が本籍地で、現在もそこに住んでおられる。初夏、私は二歳の娘を連れて、教えられた予讃本線の伊予土居に向かった。(中略)曾根氏は農家の次男として愛媛県土居町に生まれ育った。(中略)二十歳の時、神戸に出、ダンロップ工場に勤めた。(中略)その後、小倉に移り、妻を娶(めと)って食料品販売業を営んでいたが、戦況が悪化したため、一九四四年四月、土居町へ家族を連れて帰ってきた。召集令状が届いたのは、そのわずか二か月後の六月である。もうすでに三十代半ば。十歳になる長女を頭に三人の娘がいた。家族を残して、身を切られるような出征であった。

そして、九月、第三港設隊(海上挺進基地第三大隊)として編成され、宇品を出発した。(中略)それでも、渡嘉敷島に到着した当初は、基地隊の将兵誰もが、沖縄は敗けない、敗けられるものか、と思っていた。沖縄が陥されれば南方への交通は遮断されてしまう。ここはどうしても死守しなければ、と曾根氏自身も思っていた。(中略)

―――沖縄が占領されるようになって、これはあかんと思いましたね。海に浮いているのはみな敵の軍艦、空飛ぶのは全部敵の飛行機。(中略)本当に今日、よう生きのびた。生命がようあったなと思うことが何度もありましたからね。迫撃砲何度もくぐってね。(中略)

もはや、二三四高地で生存も危ういほどの飢餓に耐え、砲弾の下をかいくぐって任務を遂行することに何の意味も見出せなかった。犬死にしたくはなかった。今、米軍に投降すれば生命を落さずにすむ。戦友にもそう呼びかけたかった。だが、徹底した皇国思想、軍国教育を叩き込まれている日本兵に米軍への投降を呼びかけるのは危険だった。この期に及んで、未だに神国日本は必ず勝つ、と狂信している者も少なくなく、客観的な見通しをおくびに出すことさえはばかられた。実際、誰れが密告したのか、中隊長に呼び出されて、「貴様、悲観論を吹聴しとるというではないか」と、鼻先に軍刀をつきつけられたこともあった。日本兵には明かせない。けれど、なるべく多くの者と、ともに生きたかった。

―――一人では、わが身一人だけでは助かろうとは思いませんでした。
 
曾根氏は朝鮮人軍夫に呼びかけた。

―――私の判断では、朝鮮の軍夫は戦陣訓叩き込まれたわけではない。皇国思想も持っていない。徴用にかけられて来たのばかりだから、軍に忠誠誓うとか、天皇陛下の御(おん)ために生命を捨てるというような者はいない。軍夫でも皆、人の父であり、息子であり、夫であるんだから、一人でも多くと思ったが、それはできんかった。あまりに危険じゃから。これがバレたら当然銃殺。敵前逃亡なら、捕らえられたその場で殺されます。そのことを充分覚悟しとかなきゃいかん。
 
曾根氏は日本の敗戦が遠いものではないことを予感してはいたが、六月二十三日の沖縄守備軍第三二軍の崩壊は知らなかった。第三戦隊では二十二日、無線機で本島の軍司令部から発せられた「最後の斬込みを敢行す」の電報を傍受していたのだが、その報は幹部で握りつぶされ、下級兵士には伝達されなかったのである。

大城、知念両氏は、曾根一等兵は軍夫と綿密な連絡をとった上で行動に移っただろう、とみていた。しかし、実際はそうではなかった。

―――前に打合せしとったら。危険、兵隊の中にもちょっとでも敗ける言うたら反感持って、反発してくるのがいるんですから。何日も前から計画を明かしたらいつばれるか分らん。発覚したら終り。どうすべきか思案しまして、思い悩んでこの方法しかないと……。

その日、曾根氏は阿波連の現地自活班から二三四高地の部隊本部へ食糧を運搬する任務についていた。大城氏のいうように、自ら願い出て危険の多いその任務についたのではない。上官の命令に従ったまでのことだ。また、赤松氏のいうように、現地自活班に組み込まれていたのではなく、三中隊に所属しており、寝起きする壕も本部の南の三中隊にあった。

六月二十九日夜、曾根氏は芋や芋の葉の入った袋を背にした軍夫らを率いて阿波連を発った。一キロほど行くと、渡嘉志久(とかしく)の浜が見える峠にさしかかる。「決行は今夜だ」そう決意したのは、暗がりの中で鈍くたゆたう海を峠から見下ろした時だ。渡嘉志久の浜まで降りれば目と鼻の先に米軍がいるはずだ。だが、命令通り糧秣(りょうまつ)を本部まで運ばなければ怪しまれる。本部へ糧秣を届けてから陣地を出、あの浜に降りよう。夜目にもそれと分る小さな入江を見やりながら、曾根氏は想いを巡らせた。闇の中を手探りで山道を登り、本部に辿り着いたのは真夜中だった。

まず、軍夫長フクダに決行を打明けた。そして、軍夫たちへの呼びかけを依頼した。曾根氏は朝鮮語がまったく分らなかったし、軍夫も日本語が通じる者はごく少数だった。また、軍夫個々の気性も、どのような考えを持っているのかも、知らなかった。あまりつき合いのない曾根氏が直接呼びかけたのでは軍夫はかえって警戒する。時間もなかった。まごまごしていて日本兵に察知されれば生命はあるまい。そこで手っ取り早くフクダに軍夫たちへの呼びかけを依頼したのだ。フクダとは肝胆相照らす間柄というわけではなかったが、以前からつき合いはあった。そして、その日、同じ糧秣運搬の任務を負い、曾根氏の指揮下にあった。フクダは朝鮮人であったが、日本語が堪能だったため軍夫長に選ばれていたのだ。

フクダが自分の配下十数名を連れて来るまで三十分もあったかどうか。その中に女が混っていた。いつの頃であったか、慰安所の親方(カネコ)が第三戦隊に泣きついてきて、女たちともども部隊本部に潜り込んでいたから、慰安所の女であろう、と曾根氏は思った。(中略)どのように調達してきたのか、女たちは軍夫用の軍服、軍帽を身につけていた。

―――慰安婦は私が待っておったところに来て、軍夫長が「一緒に連れて行ってくれ」いいよりました。私はいかん、とも、連れて行くともいわんけど……。それで、軍夫長が一緒について来い、いうてね。

女が二名だったのか、三名だったのか、記憶はない。そのうちの一人であるフクマルとかいう女(キクマルのこと)が軍夫長と交渉があったのだろうと思った。

一行は糧秣を本部まで運んで来た空袋を背にし、再び阿波連(あはれん)まで糧秣運搬に行く途中であるように装った。

―――軍夫を連れたり女なんか連れたりして行きよるところを、二中隊、一中隊の前を通って調べられたりしたら危険。しかし他は心配はない。私も軍夫については責任を持っておったんで、武装しておりましたから。手榴弾と十二発実弾をつめておるのを持って行きよりましたから……。

(中略)軍夫長と軍夫だけでは歩哨線は通過できないが、日本兵である曾根氏が引率していたため、歩哨は何の疑念も抱かなかった。一行は難なく監視哨を通過した。その後も追手は来なかった。本部ではまだ、曾根氏と軍夫らの逃亡には気づいてはいなかったのである。(中略)渡嘉志久の浜に着いた時、空は白み始めていた。

―――敵の真ん前に来てるんじゃから、前へ行って撃たれたらいかん。なんとか降服するという印、白旗揚げにゃいかん。「誰ぞ白いきれ持ってないか」いうたら女の人が、慰安婦が持っとったんじゃろ思う。それを棒の先くくって、そして、海岸で振って。そしたら敵の前じゃにね、軍艦から見たんでしょ。上陸用舟艇で、すーっとやって来た。渡嘉志久の海岸の前側で止まって、こっちは下から降服の意志を表示した。「武器出せ」言うて、銃もとりあげられて、何もかも調べられて、向こうも危険はないとみたんでしょ。「これに乗れ」言うて。米軍が上陸用舟艇つけてくれた時は、まあ、ほっとしました。これで助かった、と。

曾根氏が率いた一行、軍夫長と軍夫約二十名、それに慰安所にいた女は、米軍の上陸用舟艇に無事乗船した。

続き:渡嘉敷島での軍夫の逃亡事件と第三戦隊による処刑(下)

map-tokasiki.jpg
渡嘉敷島の戦闘地図(クリックすると大きくなります。)

<情報満載のおすすめサイトです>
15年戦争資料 @wiki 沖縄戦index

<当ブログの関連エントリー>

渡嘉敷島の集団自決における赤松元戦隊長の認識と態度

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Comment

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太田良博さんが
『渡嘉敷島の惨劇は果して神話か』のなかで述べていた曽根一等兵ですね。http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/895.html
ーーーーーー
『ある神話の背景』の取材中に私は作者と二度あった。私が曽根一等兵の話を、作者から聞いたのは、那覇港に近いシーメンス・クラブで会ったときだったとおぼえている。

そのとき、朝鮮人軍夫の話がでて、ついでに曽根一等兵のことを作者が話した。

曽根一等兵は元共産党員だが、渡嘉敷島の朝鮮人軍夫何十人かをこっそり逃がしてやったというのである。曽根もいっしょに逃げたらしいが、初めて聞く話で、私は興味をそそられた。曽根一等兵は勤務隊の兵隊で、戦隊員ではなかったが、赤松大尉の指揮下にあった。

おそらく、渡嘉敷島の日本兵の中で、赤松隊の行動を批判的な目でみていた唯一の人物ではないかとおもわれる。また、彼だけは赤松と「同じ穴のムジナ」ではなかったということで、真相をつたえてくれる人物であるような気がする。

作者は、「曽根氏は私が今も会いたいと思っている人の一人である。会えば視点も変わるだろう」と言っている。

曽根元一等兵と会わずに『ある神話の背景』を書いたのは、ちょっと、軽率だったように、私には思える。しかし、彼と会っておれば、『ある神話の背景』は書けなかったかも知れないという気もするのである。
ーーーーーーーーーー

なお、「曽根一等兵は元共産党員だが、」というのは、太田氏が曽野綾子氏からきいたことで、曽野氏はそれを赤松氏もしくは赤松隊幹部からきいたとしか考えられません。

・・・・「あいつはアカだ」「あいつはブラクだ」。


曽根氏に会ったのは川田氏です。

>しかし、それをちゅうちょして問わないことは、曾根氏にも、披差別部落で、故のない差別に呻吟している人々にも失礼になる。私は尋ねた。

>「曾根さんは披差別部落出身で、牛や豚の肉を捌(さば)くのが上手いので、現地自活班に入れられたのだと、赤松さんが言っていたのですが……」

>二、三秒、静かな時が流れた。それから、吐息の混った低い声で曾根氏は答えた。

>「わたしは違います。しかし、そういうことを言って人をおとしめたつもりになっているあの方の、人間としての品性を疑いますね」

ーーーーーーー
ところで、その本には、赤松隊『陣中日誌』をどのように入手したのか情報がありますか?

それから、川田氏が曽根氏に会ったのは何年ですか?
ni0615 | URL | 2007/12/26/Wed 08:58 [EDIT]
ni0615さんへ

貴重な情報ありがとうございます。曽根一等兵が元共産党員なのかこの本には書いてありませんね。引用部分の「二十歳の時、神戸に出、ダンロップ工場に勤めた。」の後の「(中略)」部分には、「その頃、関連産業のゼネラルモーター労組組合が争議中で、演説会を聞きに行くと、『弁士中止』の命令が飛び、退場させられるという場面に何度も遭遇した。特高警察の横暴を見る度に」と、まぁ、それらしいことが書かれている部分はあるんですが。

>曽野氏はそれを赤松氏もしくは赤松隊幹部からきいたとしか考えられません。

その可能性はかなり高いでしょうね。

>その本には、赤松隊『陣中日誌』をどのように入手したのか情報がありますか?

これについては何も書いてありませんね。

>それから、川田氏が曽根氏に会ったのは何年ですか?

「(中略)」した部分に川田氏が最初に厚生省の援護課に問い合わせたとき、「もう、ほとぼりはおおかたさめてはいたが、女性職員は渋っているな、と私は直感した」と慰霊目的で沖縄に降り立った赤松氏への阻止行動がマスコミで大きく報道された後であることを書いているので、1970年3月以降1987年の出版以前であることは確かなんですが。

引用部分にもあるように「初夏、私は二歳の娘を連れて、教えられた予讃本線の伊予土居に向かった。」と書かれているので川田氏の娘さんの歳がわかれば正確な年数がわかるんですがね……
やっしゃん | URL | 2007/12/27/Thu 00:43 [EDIT]
沖縄集団自決の軍関与について
今回教科書に」「軍命令」が盛り込まれなかったけど、やっしゃんがアップした姉妹の証言が大江裁判で認められ、赤松・梅沢が敗訴したらどうなるんだろうね。
藤岡は「当時こどもだったふたりの証言などあてにならない」と反論したままブログのコメント欄を閉めたけど、梅沢・赤松の「命令してない」よりあてになると思いますが、どう思います。

もっとも、林博史さんによると「集団自決の現場に行って、そこで自殺命令をしていないから、「軍命はしてない」という屁理屈が彼らの言い分らしいけどね。

まるで子どもだね
裏で手を引いていた黒幕のほうが、共犯より罪が重いことを知らないのかね。
ほっと一息 | URL | 2007/12/27/Thu 18:42 [EDIT]
ほっと一息さんへ
歴史修正主義者の言う「軍命」や「強制」というのは証言はすべて証拠としてダメで、渡嘉敷島の例なら戦隊長からの「文章」じゃなきゃダメで、もっといえば陸軍省や参謀、師団長クラスの「自決命令文書」がないなら「軍命」はおろか「強制」すら認めないという、ものすごく「強制」の範囲を狭くしたものですからねぇ…

文科省内部にそういう考えの人がいて検定意見をつけたのが今回の騒動の発端なわけですが、軍の関与すら削除された安倍内閣当時よりは、はるかにマシな決着になったと思うんですよね。

問題になったことで以前よりも「集団自決」に関しては、みなさんの関心も高まり、誤解のないように記述も増えたみたいですし、個人的には「軍の強制」とくに「軍命令」という記述にはこだわらなくていいんじゃないかなぁ……というのが正直なところですかねぇ。

とはいっても、教科書検定制度そのものの問題は、なんら解決されていないわけですが…
やっしゃん | URL | 2007/12/28/Fri 00:24 [EDIT]
大江裁判勝訴しますように
>軍の関与すら削除された安倍内閣当時よりは、はるかにマシな決着になったと思うんですよね<
まあ一歩前進っていうとこですかね。
藤岡も「政治介入だ!」と訴えていたえて、悔しがっていましたからね。
それ言うならやッしゃん的に「お前が言うな!」ですよね。
いい年越しができそうです。
来年は、教育基本法の「国を愛する態度」削除要求運動に力を注ぎたいとおもってます。
現行憲法の19条思想・信条があるうちに変えないと、憲法から19条が削除されたり、それを打ち消す条項が加わったりしら、治安維持法みたいな法律の成立可能になり、抗議行動も出来なくなるからね。
そうなると、やっしゃんも今のような内容のブログは書けなくなるよ
現に「国を愛する態度の強制教育をしたくない」教師がどんどんクビになってるのですよ。                     
極右政治家まだまだ多数健在
NHKの会長は安倍が送り込んだ古森の仲間の福地
ほっと一息 | URL | 2007/12/28/Fri 10:29 [EDIT]
ほっと一息さんへ

>やっしゃんも今のような内容のブログは書けなくなるよ

……ハハハ。あんまり脅さないでください(^^
大江裁判は厳しいと思いますが勝訴してほしいですね。
それと、藤岡とかこういうアホな社説を載せる新聞社

読売:「沖縄」教科書 “政治的訂正”の愚を繰り返すな
産経:沖縄戦集団自決 禍根を残した“二重検定”
http://massacre.s59.xrea.com/othercgi/shasetsu/index.xcg?event=459

どうにかなりませんかね。こういう人達がいる間は「検定意見撤回」と「軍の強制」は訴え続けるべきですね。教科書にウソを書くのはいけませんからね。
そういえば今年もあと少しですね。「しつこさ」と「わかりやすさ」だけが売り(笑)のブログですが来年も更新はするつもりです。よろしく。
それでは良いお年を!アディオス(笑)


[続報をメモ]

集団自決「検定意見撤回を」 沖縄側、反発受け修正
http://www.asahi.com/national/update/1228/SEB200712280010.html?ref=rss
2007年12月28日23時49分
沖縄戦の「集団自決」をめぐる教科書検定問題で、9月に検定意見の撤回を求める沖縄県民大会を開いた実行委員会のメンバーは28日、教科書に「日本軍による強制」との記述を入れるとともに検定意見を撤回するよう求める要請書を、首相と文部科学相に提出すると全会一致で決めた。
文科省が教科書会社からの訂正申請を承認した26日の会見で、実行委員長の仲里利信・県議会議長(自民)は「検定前の記述以上に踏み込んだ訂正で、検定意見は自動的に消滅したと理解している」と評価した。だが、県内の幅広い層で「日本軍による強制という記述は認められておらず、集団自決の実態とかけ離れている」「文科省は、県民大会が求めた検定意見の撤回に応じていない」といった反発が強く、軌道修正した。
やっしゃん | URL | 2007/12/29/Sat 08:37 [EDIT]
>歴史修正主義者の言う「軍命」や「強制」というのは証言はすべて証拠としてダメで、
しかしそういう、証言を証拠として認めない、連中に“北朝鮮による拉致の
証拠は「拉致被害者」しかいないから拉致は捏造の疑いがある。それに
拉致命令文書は存在しないから拉致は末端の暴走ではないか”と
くすぐって見たら、ネット上のそういう連中=ネトウヨはキレますね。
文書による実証というのは難題な事を理解出来ない頭のようです。
(しかし現実的にはやっしゃん氏もご存知の通り沖縄戦終了直後の米軍による
沖縄住民への聞き取り調査でも軍命による集団自決は確認されてるのに‥)

歴史修正主義者は大体以下のダブスタを取りますね。
・拉致事件→拉致の実証は拉致被害者自身の供述でOK
・集団自決→集団自決の実証は軍命を記述した「自決命令書」がないとNGで生き残りの証言は無視
すさまじいダブスタであります。

「歴史修正主義」を望む連中と
「北朝鮮の拉致事件解決」をヒステリックに叫ぶ連中が
殆ど「=」で結ばれるのかは興味深い所です。
ngc2497 | URL | 2007/12/30/Sun 14:31 [EDIT]
ngc2497さんへ
お久しぶりです。
ご指摘の通り、歴史修正主義者(ネトウヨ含む)は実証気取って毎度ダブスタで自爆してますね。自分達の言ってることを拉致問題に置き換えてみれば “おかしい”ことに気づくはずなんですが(笑)

>沖縄住民への聞き取り調査でも軍命による集団自決は確認されてるのに‥

1つ前のエントリーでも紹介しましたが、慶留間島では2月8日、野田第2戦隊長が来て住民を集め「全員玉砕あるのみ」と訓示までしてますからね。てか、そんな個別の事例を出すまでもなく沖縄戦とはどういう戦いだったか調べれば軍の存在というの非常に大きく軍命は別にしても、「強制はなかった」なんて結論にならないんですがね。それともネトウヨは「訓示」や第三二軍の「軍官民共生共死の一体化」という方針を「単なる訓示や方針」とでも思っているんでしょうかねぇ、文科省の教科書検定「意見」と同じで名前は命令ではないですが実態は強制で事実上の命令と同じなのに。

それと、以前に拉致事件をご都合主義史観の論理で否定したエントリーを書いたのを思い出しました。
これ
【安倍】従軍慰安婦問題【アホ】
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-41.html

よかったら読んでみてください。
それでは良いお年を♪
やっしゃん | URL | 2007/12/31/Mon 15:11 [EDIT]
あけましておめでとうございます。
「軍命」と「軍強制」とでは、「軍強制」のほうが明記しにくいと思いますよ。
なぜなら、山に逃げて、あるいは投降して助かっている人達がいるのですからです。
つまり、自決しなければ殺される状況ではなかったということです。
生き地獄か自決かを選択する状況だったということです。

その点、「軍命」は直接的であろうが間接的であろうが、そんなの関係ない!
したか、しなかったか、なのですから
それを二人の隊長は直接的ではない=軍命ではない・・・論法なのです。
間接的な命令は、二人の姉妹の証言が有効だと思うのです。
そして犯罪においては、直接手を下したものより、裏で手を引いていた黒幕の方が罪が重いってことを彼らは知らないのかといいたいのです。

ちなみに、私は自決を選ぶタイプです。パニクっていなければ、逃げて捕まる寸前に自決と考えるかも・・・

今年も宜しくお願いします。
ほっと一息 | URL | 2008/01/07/Mon 12:10 [EDIT]

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