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渡嘉敷島の集団自決における赤松元戦隊長の認識と態度(2)
渡嘉敷島の集団自決における赤松元戦隊長の認識と態度の続編です。

1970年3月に渡嘉敷島の慰霊祭に赤松元戦隊長と元隊員が25年ぶりに参列しようとしたことがきっかけになって、赤松元戦隊長への糾弾と激しい渡島阻止行動が行なわれたことから、沖縄戦の記憶を呼び起こし大きな議論になった。

この事件とほとんど同時期に、那覇に滞在していた元海軍大尉・島尾敏雄が書いた「那覇に感ず」という文がある。約200名の海上挺進隊を指揮した赤松嘉次元戦隊長と同じ琉球列島の加計呂麻島で、約180名の海上特攻隊の指揮官だった元海軍大尉・島尾敏雄は戦時中の環境があまりにも似すぎているため、地元の新聞が報じた記事を目にしたとき、

「思わず身の凍りつく思いに襲われた」「ある理解が体を電撃のように通過したのは、沖縄の離れ島で起こった住民の集団自決の事実のことだ」

として、自分が彼と同じ状況に陥った時どんな事態が生まれるだろうか、と考え暗澹たる気持ちに襲われ、慄然としたことを告白している。そして、

彼とのかかわりあいでのなかで非戦闘員が三百人余りも自決したその場所にでかけて行こうとするのだろう。ふとそこに死にに行くのではないか、と先走って不吉な考えを私は起こしてしまった。

という。だが、島尾敏雄の「不吉な考え」は思い違いに終る。

でもいったい彼は本当になんの告発を受けることもなく、渡嘉敷島に渡れて、慰霊祭に参列できると考えていたのだろうか、本心からそう思っていたのだろうか。私はどんなふうにも理解することができずに、深く暗い裂け目に落ち込んでしまった。しかしなんとしてもへんてこな羞恥で体がほてり、自分への黒い嫌悪でぐじゃぐじゃになってくるのをどうにもできなかった。何かが醜くてやりきれない。彼の立場だったら、私にどんなことができるかと思うとよけい絶望的になるし、しかしまたこの状況は醜い、と思うことからものがれられなかったのだ。」と結ぶ。

(「世界」2007年7月号 P101.102)



この事件の翌年に赤松元戦隊長は月刊誌「青い海」に「私達を信じてほしい」というタイトルで寄稿しています。「集団自決の真相」とうたわれた手記にしては、凄惨を極めた集団自決とスパイ容疑での住民虐殺、そして朝鮮人軍夫や慰安婦のことは書かれていないそうです。この書かなかったというより書けなかった部分にこそ本当の真相があるのでは?と、思うのはオレだけか?


前回のエントリーで紹介した「裁かれた沖縄戦」のP68~71をテキスト化してもう1つのブログにアップしました。
■[沖縄戦][集団自決]「裁かれた沖縄戦」安仁屋政昭
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20071012



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いつも勉強になる資料をごくろうさまです。
るるる | URL | 2007/10/12/Fri 18:52 [EDIT]
るるるさんへ
( ・∀・)勉強になるだなんて、ありがとう。

ただ、このエントリーあまり評判よくないみたいorz
やっしゃん | URL | 2007/10/13/Sat 01:05 [EDIT]

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