「諸君!」2007年8月号 僕が出会った気高き慰安婦たち
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/index.htm
伊藤桂一(小説家・詩人) 聞き手 野田明美
p149~150より引用
伊藤:(略)軍は慰安所に無関係だった、あれは民間が勝手にやったことだという意見も耳にするけど、そんなことはない。僕は「慰安婦募集の一記録」という一文を書いたことがあります。満州にいた関東軍の第六国境守備隊隊長だった菱田という大佐が、北満州の西崗子という町に、軍の管理する慰安所を作ったという話です。
この人は、大佐には珍しく下情に通じた人だった。士官学校や陸軍大学校など日本の軍人育成学校の欠陥は、軍事は教えても人間のことは教えなかったことじゃないかと思うんですが、そのなかで珍しく兵隊の気持ちの分かる人だった。例えば、駐屯地にいる軍人、軍属の家族に「婦人の下着類を望楼から見えるところに干さないでくれ」という通達を出したことがある。望楼から双眼鏡で監視している兵隊を刺激しないように、という配慮なんですね。
彼の慰安所計画は、憲兵隊長の強い反対にあいます。“民間人がやるならともかく、軍みずから慰安所を作るなんてとんでもない”と。しかし、菱田部隊長は“君たちは料亭の女を専有してるからよい。兵隊たちは性の処理をどうするんだ”と反論して、これを認めさせた。民間人に任せると性病がこわいし、情報も漏れる。それならいっそ軍がしっかり管理して、慰安婦たちにも安心して働いてもらおうというのが菱田大佐の発想なんですね。
ーーその話は直接聞かれたんですか?
伊藤:菱田大佐の部隊にいた人に詳しく聞きました。その慰安所は「満州第十八部隊」と名付けられました。
慰安婦は、朝鮮の慶尚北道で募集し、志願してきた女性は軍属として、判任官待遇とする。玉代は四十分 一円五十銭。衣食住は軍持ち。前借も無期限、無利子で自分の稼ぎによって返済する。つまり、稼げば稼ぐだけ、前借している金を返すことができるわけです。民間の慰安所の場合、楼主夫婦をお母さん、お父さんと呼んで擬似一家の構成にしているから、稼いでも途中でピンはねされてしまうという弊害があった。しかし、軍の慰安所にはそういう心配は、もちろんありませんでした。
そのほか、軍は管理するけど生活には干渉しないとか、そういった条件をきちんとうたって募集したんです。
ーー女性たちは集まったんですか?
伊藤:たちまち二百人集まったそうです。募集地を慶尚道にしたのは、あの辺りの女性は気質もいいし団結も強い、という理由だったそうです。慰安所の建物は、松、竹、梅と三つあって、一人に一部屋があてがわれた。壁に掛かっている慰安婦の外套の襟には、軍属のマークが縫い付けられている。判任官のものですから、上等兵より階級は上なんですね(笑)。
(以下略)
ここまで書き写してから気づいたんですが、これすでに「思考錯誤」で取り上げられてました(^^;
(こちら)、、、まぁ、“メモ”ちゅうことで一応アップしときます。
伊藤桂一氏
「螢の川」で第46回直木賞受賞、他に「悲しき戦記」「静かなノモハン」など。
1917年生まれで、1937年に徴兵検査を受け、1938年1月に現役兵として習志野の騎兵連隊に入営、約4年間を華北(山西省付近)で過ごし、1941年に上等兵になり、同年9月に日本に帰還し除隊になり、1年の休養後、1943年3月に召集され、今度は歩兵として中支(安徽省付近)へ送られ、終戦は伍長として上海郊外で迎えた。

http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/index.htm
伊藤桂一(小説家・詩人) 聞き手 野田明美
p149~150より引用
伊藤:(略)軍は慰安所に無関係だった、あれは民間が勝手にやったことだという意見も耳にするけど、そんなことはない。僕は「慰安婦募集の一記録」という一文を書いたことがあります。満州にいた関東軍の第六国境守備隊隊長だった菱田という大佐が、北満州の西崗子という町に、軍の管理する慰安所を作ったという話です。
この人は、大佐には珍しく下情に通じた人だった。士官学校や陸軍大学校など日本の軍人育成学校の欠陥は、軍事は教えても人間のことは教えなかったことじゃないかと思うんですが、そのなかで珍しく兵隊の気持ちの分かる人だった。例えば、駐屯地にいる軍人、軍属の家族に「婦人の下着類を望楼から見えるところに干さないでくれ」という通達を出したことがある。望楼から双眼鏡で監視している兵隊を刺激しないように、という配慮なんですね。
彼の慰安所計画は、憲兵隊長の強い反対にあいます。“民間人がやるならともかく、軍みずから慰安所を作るなんてとんでもない”と。しかし、菱田部隊長は“君たちは料亭の女を専有してるからよい。兵隊たちは性の処理をどうするんだ”と反論して、これを認めさせた。民間人に任せると性病がこわいし、情報も漏れる。それならいっそ軍がしっかり管理して、慰安婦たちにも安心して働いてもらおうというのが菱田大佐の発想なんですね。
ーーその話は直接聞かれたんですか?
伊藤:菱田大佐の部隊にいた人に詳しく聞きました。その慰安所は「満州第十八部隊」と名付けられました。
慰安婦は、朝鮮の慶尚北道で募集し、志願してきた女性は軍属として、判任官待遇とする。玉代は四十分 一円五十銭。衣食住は軍持ち。前借も無期限、無利子で自分の稼ぎによって返済する。つまり、稼げば稼ぐだけ、前借している金を返すことができるわけです。民間の慰安所の場合、楼主夫婦をお母さん、お父さんと呼んで擬似一家の構成にしているから、稼いでも途中でピンはねされてしまうという弊害があった。しかし、軍の慰安所にはそういう心配は、もちろんありませんでした。
そのほか、軍は管理するけど生活には干渉しないとか、そういった条件をきちんとうたって募集したんです。
ーー女性たちは集まったんですか?
伊藤:たちまち二百人集まったそうです。募集地を慶尚道にしたのは、あの辺りの女性は気質もいいし団結も強い、という理由だったそうです。慰安所の建物は、松、竹、梅と三つあって、一人に一部屋があてがわれた。壁に掛かっている慰安婦の外套の襟には、軍属のマークが縫い付けられている。判任官のものですから、上等兵より階級は上なんですね(笑)。
(以下略)
ここまで書き写してから気づいたんですが、これすでに「思考錯誤」で取り上げられてました(^^;
(こちら)、、、まぁ、“メモ”ちゅうことで一応アップしときます。
伊藤桂一氏
「螢の川」で第46回直木賞受賞、他に「悲しき戦記」「静かなノモハン」など。
1917年生まれで、1937年に徴兵検査を受け、1938年1月に現役兵として習志野の騎兵連隊に入営、約4年間を華北(山西省付近)で過ごし、1941年に上等兵になり、同年9月に日本に帰還し除隊になり、1年の休養後、1943年3月に召集され、今度は歩兵として中支(安徽省付近)へ送られ、終戦は伍長として上海郊外で迎えた。


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Comment

こんばんは。
伊藤桂一氏が記した慰安婦については、私も過去3度ほどエントリーの中で引用したことがあります。もっとも、そのエントリー内で私が書いたことは、今とは考え方が結構違っているので恥ずかしいですが(笑)
伊藤氏は慰安婦の相談役のようなこともしていたそうですよ。ただ、ご本人も仰っているとおり、慰安婦の全容を知っているわけではなく、初期の一地域での話のようです。
南京の問題と違って、慰安婦問題は時期も地域もさまざまで、しかも下半身についての話ですから、話したくない、思い出したくないという人も相当数いそうです。
まぁ、全部が全部、悲惨きわまりないわけではなかった、とは言えそうかな、と感じています。
伊藤桂一氏が記した慰安婦については、私も過去3度ほどエントリーの中で引用したことがあります。もっとも、そのエントリー内で私が書いたことは、今とは考え方が結構違っているので恥ずかしいですが(笑)
伊藤氏は慰安婦の相談役のようなこともしていたそうですよ。ただ、ご本人も仰っているとおり、慰安婦の全容を知っているわけではなく、初期の一地域での話のようです。
南京の問題と違って、慰安婦問題は時期も地域もさまざまで、しかも下半身についての話ですから、話したくない、思い出したくないという人も相当数いそうです。
まぁ、全部が全部、悲惨きわまりないわけではなかった、とは言えそうかな、と感じています。
j.seagullさんどうもっす。
そちらのエントリー読ませてもらいました。自分も伊藤桂一さんのことは初めてしりました。もうかなりのお年ですし、戦場での貴重な話にあーだこーだ言うつもりはないんですが、ちょっと美化し過ぎだろ、と、思うところはありますね。ご本人はどうやら死んでいった兵士に申し訳ないという気持ちが強いんじゃないかと、、、まぁ、そこらへんはご本人も隠さず「兵隊たちは慰安婦より不条理な中で生き、死んでいかなければならなかった。だからそういう兵隊たちに代わってあえて、慰安婦賛美論を述べてみたかった。」と言っていますし。ただ、途中で黄文雄氏の文を引用してある部分があるんですが、正直引きました(^^;
>まぁ、全部が全部、悲惨きわまりないわけではなかった、とは言えそうかな、と感じています。
そうですね。やはり、戦争末期に東南アジアに送られた慰安婦の方達と比べると、場所や時期によってかなり違うんだろうと思います。それは兵士たちにもいえることですが。
そちらのエントリー読ませてもらいました。自分も伊藤桂一さんのことは初めてしりました。もうかなりのお年ですし、戦場での貴重な話にあーだこーだ言うつもりはないんですが、ちょっと美化し過ぎだろ、と、思うところはありますね。ご本人はどうやら死んでいった兵士に申し訳ないという気持ちが強いんじゃないかと、、、まぁ、そこらへんはご本人も隠さず「兵隊たちは慰安婦より不条理な中で生き、死んでいかなければならなかった。だからそういう兵隊たちに代わってあえて、慰安婦賛美論を述べてみたかった。」と言っていますし。ただ、途中で黄文雄氏の文を引用してある部分があるんですが、正直引きました(^^;
>まぁ、全部が全部、悲惨きわまりないわけではなかった、とは言えそうかな、と感じています。
そうですね。やはり、戦争末期に東南アジアに送られた慰安婦の方達と比べると、場所や時期によってかなり違うんだろうと思います。それは兵士たちにもいえることですが。
ご存知でしたら教えてください。本当に調べなくて結構ですから・・
私の知り合いに、何人か「日本は国連を脱退したんだから、国際条約に元ずいて日本政府・軍が東京裁判で裁かれる事態がおかしいのだから、あの判決は無効」と言い、「戦争に人道もへったくれもない」とか言ってる人がいて困ってるのです。
私的には、そんなの屁理屈だと思ってますし、天罰だとも思ってますし、その人達とは知り合い以上友達以下なのでなんら影響ないんですが、感化される人もいるのではないかと思い調べたんですが、解らないのです。
秦センセの本には、唯一文民だったA級戦犯広田は、「国際条約違反を犯したので、罪は認める」とし納得ずくで死刑台に上ったとあるのです。
国際連合非加入国と国際条約の関係ご存知ですか?
*秦センセはやっぱり天皇信者で男系男子(男尊女卑)のようです。
天皇制が残ったのは、天皇が平和主義者だったからとかいってるのですもの
私的には、そんなの屁理屈だと思ってますし、天罰だとも思ってますし、その人達とは知り合い以上友達以下なのでなんら影響ないんですが、感化される人もいるのではないかと思い調べたんですが、解らないのです。
秦センセの本には、唯一文民だったA級戦犯広田は、「国際条約違反を犯したので、罪は認める」とし納得ずくで死刑台に上ったとあるのです。
国際連合非加入国と国際条約の関係ご存知ですか?
*秦センセはやっぱり天皇信者で男系男子(男尊女卑)のようです。
天皇制が残ったのは、天皇が平和主義者だったからとかいってるのですもの
ほっと一息 | URL | 2007/08/03/Fri 12:07 [EDIT]
ほっと一息さんへ
日本は国際連盟を脱退しましたが、署名、批准、加入していた国際条約まで破棄したわけではないでしょ。
>秦センセはやっぱり天皇信者で男系男子(男尊女卑)のようです。
以前のレスは訂正します。自分もそう思います。
結局、この人がA級戦犯に厳しいのも、分祀して天皇陛下に靖国神社参拝をしてもらいたいというのが本心だと思います。
日本は国際連盟を脱退しましたが、署名、批准、加入していた国際条約まで破棄したわけではないでしょ。
>秦センセはやっぱり天皇信者で男系男子(男尊女卑)のようです。
以前のレスは訂正します。自分もそう思います。
結局、この人がA級戦犯に厳しいのも、分祀して天皇陛下に靖国神社参拝をしてもらいたいというのが本心だと思います。
軍事買春とイラク占領:女性の民営化
「益岡賢のページ」より
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
軍事買春とイラク占領:女性の民営化 デブラ・マクナット 2007年7月11日
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/cp070711.html
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
軍事買春とイラク占領:女性の民営化 デブラ・マクナット 2007年7月11日
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/cp070711.html
戦場での従軍慰安婦が心の慰めだったと綴っているHP
浪速の詩人工房
http://www.vega.or.jp/~toshio/
日中戦争(アジア・太平洋戦争)に従軍体験を持つ男のホームページ
かの戦争とはなんだったのか……と、詩とエッセーでもって問いつづける!
A poet in Osaka Japan 井 上 俊 夫
http://www.vega.or.jp/~toshio/
日中戦争(アジア・太平洋戦争)に従軍体験を持つ男のホームページ
かの戦争とはなんだったのか……と、詩とエッセーでもって問いつづける!
A poet in Osaka Japan 井 上 俊 夫
進駐米軍も管理売春に加担していた。
# 男達を異邦で戦わせ続けるための兵站の重要な要素であることがわかれば、軍が関係していないということは考えられない。
終戦直後の売春秘話
http://www.call-girl.jp/heikamon/heikamon_9_2.html
昭和20年(1945年)8月26日、米進駐軍から全国の婦女子の貞操を守る・防波堤・として、赤線及び料亭とカフェ業者からなる「特殊慰安施設協会」(通称RAA/本部は大森)が設置。国が資金の半分を投じたといわれた、いわば米軍専用の遊戯場、飲食施設、そして、売春宿のことである。就業婦の多くは一般公募され、以下のような過酷な体験も珍しくなかったのである。。。。
終戦直後の売春秘話
http://www.call-girl.jp/heikamon/heikamon_9_2.html
昭和20年(1945年)8月26日、米進駐軍から全国の婦女子の貞操を守る・防波堤・として、赤線及び料亭とカフェ業者からなる「特殊慰安施設協会」(通称RAA/本部は大森)が設置。国が資金の半分を投じたといわれた、いわば米軍専用の遊戯場、飲食施設、そして、売春宿のことである。就業婦の多くは一般公募され、以下のような過酷な体験も珍しくなかったのである。。。。
軍隊の性暴力「ノー」/女たちの会 国際集会へ
沖縄タイムス
2007年9月7日(金) 朝刊 26面
軍隊の性暴力「ノー」/女たちの会 国際集会へ
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709071300_07.html
2007年9月7日(金) 朝刊 26面
軍隊の性暴力「ノー」/女たちの会 国際集会へ
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709071300_07.html
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