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今までブクマした歴史関連の動画をいくつか紹介。
あたりまえのことなんですが動画を英語で検索すと初めて見るな映像が結構ありますね。自分は英語が苦手なのでついつい日本語でばかり検索してしまうので・・・ まぁスペルぐらい調べろや!て話しなんですが(^^;

■1945 Japanese Surrender in Okinawa-5th Div. USMC Raw Footage
終戦直後の沖縄。女性や子供が整然と並んで行進する姿、武装解除の様子など。



■1942-43 Japanese Relocation and the 442nd Regiment in Color
日系アメリカ人のみで編成された第442連隊と強制収容所の様子。


第442連隊戦闘団 - Wikipediaといえば昨年、慰安婦問題が過熱していた時期にこもりん(古森義久記者の通称)が古い情報を新情報であるかのように偽り何度も紹介していたアメリカ上院のダニエル・イノウエ議員がそうですね。

例えばこれとか「産経新聞古森記者、こんどは、ワシントンからではなく2ch情報を見て記事を書く」、ごめんなさい、こんなマメ知識いりませんね。

はい、次いきましょう。

こちらは虚構の皇国blogさん経由でたどり着いた西洋軍歌蒐集館さんでみつけたもの。

■Japanese submarine that visited German Occupied Europe
日本の潜水艦がドイツを訪れた時の映像。レーダー元帥みずからが歓待しています。



■Axis Force : Germany & Japan – 1943
独軍制圧下の部分的な包囲下におかれていたレニングラードを訪れる小松光彦陸軍少将など。



(このエントリはもう少しつづく予定です。)のつもりでしたが、ひたすら動画を貼るだけというのもアレなんで今回はここまでというこで。


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敗戦後、慰安婦を看護婦に 旧軍の命令、文書で初確認
昨日コメ欄にてゴンベイさんに教えてもらったので以下にメモしときます。

2008/06/19 敗戦後、慰安婦を看護婦に 旧軍の命令、文書で初確認
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061901000625.html
http://www.asyura2.com/08/asia11/msg/416.html

 第2次大戦での日本の敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達が19日までに、連合国側が暗号解読して作成した英公文書で判明した。研究者らは、慰安婦が看護婦に雇用された際の身分が軍属だった可能性が高いとみている。敗戦時に軍属雇用するという配慮から、軍が戦中に慰安婦管理に事実上深くかかわっていたとする見方を補強する貴重な史料としている。

 従軍慰安婦問題では、政府の謝罪や補償の根拠となる当局の関与の度合いが問題となっており、今後の議論に影響を与えそうだ。「看護婦」とすることで、当局が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性も指摘されている。

 慰安婦を看護婦としたことは元兵士らの証言や、オーストラリア人ジャーナリストの著書の中で出典不明で紹介されたことがあったが、その命令が原文に近い形で確認されたのは初めてとみられる。関東学院大の林博史教授(現代史)が英国立公文書館で発見した。(共同)


■当ブログの「従軍慰安婦」関連エントリ一覧

http://dj19.blog86.fc2.com/blog-category-12.html

日本軍による斬首写真は「時代の真実切り取った宝物」
と、産経新聞が報じてますが、さすがに斬首刑の写真を「宝物」とまで書くのはどうかと思いました。

2007/7/7 時代の真実を切り取った“宝物” 菅野力夫 幻の写真 - 産経新聞
http://tankenka.j-wak.com/media.html

菅野力夫PHOTOの写真の中には「馬賊の最期」というキャプションの昭和8年9月~昭和9年5月に撮影されたものがあります。場所は不明(満州、支那、蒙古)。
こちらの写真:http://blog-imgs-26.fc2.com/d/j/1/dj19/20080608190920.jpg

年表

大正3年(1914)  青島攻略、第一次世界大戦
大正7年(1918)  シベリア出兵
昭和2年(1927)  山東出兵
昭和6年(1931)  満州事変
昭和7年(1932)  上海事変
昭和12年(1937) 日中戦争(支那事変、日華事変)

菅野力夫BLOGには当時を知ることの出来る貴重な写真がたくさんあります。ちなみに、自分が気に入った写真は旅人の木

【関連リンク】

国立国会図書館 データベース
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000038455
>菅野力夫(すがのりきお)は、「郡山市喜久田出身の冒険家。孫文の中国革命の頃革命を支持し援助していた頭山満によって工作員の1人として蒙古へ送られて裏面工作にあたった。のちアフリカ、南アメリカ、チベットなど世界の秘境を闊歩した。」といわれています。

太平洋戦争 日本軍と石油(2)
太平洋戦争開戦秘話「覆面石油部隊」については、1つ前のエントリ「太平洋戦争 日本軍と石油」で動画を見てもらうとして

これだけでは日本軍が輸送船の保護をどれくらい軽く見ていたのかよくわからないですよね。そこで少し補足しておこうと思う。

お粗末な日本の護衛体制 

「日本の生命線」であるはずの南方航路の護衛専門部隊ができたのは、なんと日米開戦から4ヶ月も経ってからのことであった。しかも、そのお粗末ぶりときたら……

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『海上護衛戦 (学研M文庫)』の著者でもある当時、海上護衛総司令部の作戦参謀であった元海軍大佐・大井篤(あつし)さんは次のように語っている。

「連合艦隊がまったく非協力的なんだ。軍司令部の計算では、南方航路を守るには最低水雷戦隊が三隊は必要と考えたのだが、連合艦隊に交渉してみると、まだまだ作戦地域を広げて侵攻作戦を計画していて、あくまで作戦優先。護衛なんかてんで頭にない。一隻の駆逐艦も出さないというんだ。

 しかたないので、鎮守府とか警備府などから老朽のいわば『お婆さん』の旧式駆逐艦や水雷艇をかき集めてようやく作ったというのが実情。しかもその数たるや、シンガポールから門司(もんじ)までの約2500海里(約3700キロ)のシーレーンを守る第一海上護衛隊が、旧式駆逐艦10、水雷艇2、商船を改造した特設砲艦5だけ。横須賀からラバウルまでの2000海里(約3700キロ)を守る第二海上護衛隊が旧式駆逐艦4、水雷艇1、特設砲艦1だけ。守るべき輸送船は3000隻以上もあるんですよ。こんなわずかな船でいったい何ができるというんです。情けないというほかない。」(『太平洋戦争 日本の敗因〈1〉日米開戦 勝算なし (角川文庫)』p85~86より)

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海軍に輸送船の護衛専門機関が誕生するのは、さらに遅れること1年半以上、昭和18年11月15日のことになる。遅すぎるってーの!

一方、アメリカはというと昭和17年には「コンボイ」と呼ばれる護衛艦隊に守られた大船団で航行している。この大船団は平均70~80隻、多いときは200隻に及び、潜水艦や航空機からの攻撃に備えていたのだった……。

参考までに昭和16年6月に海軍軍令部が作成した「現情勢下ニ於(おい)テ帝国海軍ノ執(と)ルベキ態度」の中で、どれくらいの船舶被害を見積もっていたのかを最後に紹介しておく。

戦争第1年 80万~100万トン
戦争第2年 60万~80万トン
戦争第3年 70万トン      (前書p41より)

↓これが実際の船舶損害。(アメリカ戦略爆撃調査団報告書による)

戦争第1年 96万トン
戦争第2年 169万トン
戦争第3年 392万トン     (前書p42より)


太平洋戦争 日本軍と石油
覆面石油部隊 ~太平洋戦争開戦秘話~ 1
http://jp.youtube.com/watch?v=A445Wmc8ZPA
覆面石油部隊 ~太平洋戦争開戦秘話~ 2
http://jp.youtube.com/watch?v=wuGdH55yDaE
覆面石油部隊 ~太平洋戦争開戦秘話~ 3
http://jp.youtube.com/watch?v=wZUypqykCNo
覆面石油部隊 ~太平洋戦争開戦秘話~ 4
http://jp.youtube.com/watch?v=Y9zENaQVzvk
覆面石油部隊 ~太平洋戦争開戦秘話~ 5 (終)
http://jp.youtube.com/watch?v=0nF8Tad6DXw

■「覆面石油部隊 ~太平洋戦争開戦秘話~」がyoutubeにあったので見てみたんだけど当時のことを証言してるいる人達が以前に紹介した「太平洋戦争 日本の敗因〈1〉日米開戦 勝算なし (角川文庫)」に出てくる人と一部かぶっていたので理解するうえでとても助かった。自分の知らなかった証言もあったので一部を書き起こし、補足と私見 を入れてみた。


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覆面石油部隊 ~太平洋戦争開戦秘話~ 3より
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ピクチャ 2

元陸軍省燃料課員・高橋健夫さん

陸海軍企画院による石油会議に出席した元陸軍省燃料課員・高橋健夫さんは南方からの環送(かんそう=輸送のこと)油の量が算定した数値より水増しされていくのを目の当たりにした。

高橋さん 「なんとかやれそうだという表を作ること自体が目的だったような気がする。」

■普通なら日米開戦前に想定していた内容は現実的な情報に基づいたものではなく「誤りだった」と認めるはずの企画院会議で、戦争を指導していた上層部が机上の空論によって作り上げた方針へと、どんどん水増しされていった。このような情報的認識の甘さは日米開戦後もまったく改善されることはなく繰り返され、結果、末端の兵士や民間人の多くの犠牲を生むことになった。




ピクチャ 1

元パレンバン落下傘部隊長・徳永悦太郎さん

■製油会社は、こういうふうになっているんだと部下に渡した地図はこれだけ。
ピクチャ 2
徳永さん 「(相手の)兵力がなんぼあるのか、そんなことは、いっこうにわからん。」

リポーター 「・・・(絶句)」
ピクチャ 3

■日本軍は東南アジアの石油生産地帯を占領、生産を始めたが、日本の戦争指導者達は油田を占領することと石油を手に入れることは別問題であることを見過ごしていた。パレンバンの石油は、はるか2500海里(約4600キロ)かなたの日本まで持ち帰らないかぎり日本の戦力にはならないのだった……。




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覆面石油部隊 ~太平洋戦争開戦秘話~ 5 (終)より
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2011y04m04d_074425214.jpg

雷跡!!右30度―特攻船団戦記」の著者でもある元タンカー船長・宇野公一さん

宇野さん 「大砲みたいなものを載っけておけば潜水艦が浮上した時に、あれ、大きな大砲もってると、あまり近寄ってこないと、で、私の沈んだ船の後ろにも長さが2間ぐらいの砲身のすばらしい大砲ですよ(笑)木でできてる(苦笑)。そのへんの電信柱でも持ってきて、でん、と横に並べておけばいいわけですから。」

リポーター 「実際に攻撃をうけたことは?」

宇野さん 「一番最初に木の大砲が燃えだしちゃったんですよね。大砲の格好してボンボン燃えてるわけですよ。これバレたなあと(苦笑)」

■当時は電信柱に大砲と同じ色を塗って据え付けたものを「偽砲」とか「木造砲」とよんでいたそうです。




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元陸軍第3船舶司令部(シンガポール)・天谷 広さん

天谷さん 「ドラム缶に石油を入れてエンジンも何も無いいかだにそれを載っけて海流にのかっていけば、どこか九州の南端か四国沖にでも着くだろうと、そいうことも1つのアイデアとして考えました。」

■↓タンカーが1隻も来なくなった南方から石油を日本に向けて運ぶために考え出されたのがこれ。
小型船がロープで引いているのは石油の入った生ゴムの袋だそうです。

2011y04m04d_074648791.jpg

天谷さん 「こりゃあ『極秘の兵器』ちゅうんですよ。」

リポーター 「えっ!?(絶句)」

天谷さん 「これも1つの兵器なんです。」


【追記】
このエントリだけだと日本軍が輸送船の保護をどれくらい軽く見ていたのかよくわからないと思ったんで続きを書いてみました。

続き:太平洋戦争 日本軍と石油(2)
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