今日はいつもコメントをくださるni0615さんのブログを紹介します。
というのも、自分がブログを始めた理由の1つは「デマ情報を垂れ流してるブログやサイトがあまりにも多い」ことに呆れたからなんだけど、あらためてそれを思い知らされる情報をもらったからです。
↓それがこれ
「安禅不必須山水」より
デマは云ったモン勝ち? 古森さん「歴史ロンダリング」(その6)
(以下全文抜粋)
5月4日の産経新聞古森さんによるAP記事の紹介記事、
「 米軍も「慰安婦調達」 それを知ったホンダ議員「旧日本軍は強制」と強調」
では、ちょっとした(?)偽造がなされました。
→http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/165909/
それを産経新聞社に掛け合った人がいて
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
結局産経新聞は訂正文を掲載し、「米軍の命令により」を「米軍の許可により」に訂正ました
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-date-20070521.html
私も経過報告しました
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/176778/
しかし訂正を知った人はほとんどいません
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/177402/
筆者、古森義久さんが訂正コメントすら発表してないからです。
~~~~~~~~~~~~
ここでは、その後日談をもうしあげます。古森さんには、是非読んでいただきたいものです。
「デマは云ったものが勝ち」、偽情報がWEB上にいかに定着してしまうものか、恐ろしい数字が表れました。それはGoogleで検索した結果です。
(1)誤った情報「米軍の命令により売春施設」の入った記事を転載したままのサイト数。・・・"終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設" のキーワードを、Googleの検索オプションで“すべてのキーワードを含む”で検索すると・・・
http://www.google.com/search?q=%22%E7%B5%82%E6%88%A6%E7%9B%B4%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%86%85%E3%81%A7%E5%8D%A0%E9%A0%98%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E3%81%AE%E5%91%BD%E4%BB%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E5%A3%B2%E6%98%A5%E6%96%BD%E8%A8%AD%22&num=50&hl=ja&lr=lang_ja&as_qdr=all&start=50&sa=N
ヒット数は、 505 件
(2)訂正された情報「米軍の許可により売春施設」の入った記事を転載したままのサイト数。・・・"終戦直後の日本国内で占領米軍の許可により売春施設" のキーワードを、Googleの検索オプションで“すべてのキーワードを含む”で検索すると・・・
http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&as_qdr=all&q=%22%E7%B5%82%E6%88%A6%E7%9B%B4%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%86%85%E3%81%A7%E5%8D%A0%E9%A0%98%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E3%81%AE%E8%A8%B1%E5%8F%AF%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E5%A3%B2%E6%98%A5%E6%96%BD%E8%A8%AD%22&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja
ヒット数はなんと 6 件
その後、紙面では22日、Webでは23日訂正文がひそかに発表されました。
「訂正」
6日付の「占領下の日本 米軍用慰安婦がいた」の記事中、AP通信の報道の引用で「占領米軍(から)の命令」「米軍が命じた」とあるのは「米軍の許可」「米軍が許可した」の誤りでした。(産経新聞 2007年5月22日 国際面)
そこで
(3)5月22日に産経新聞が出した訂正文を引用したサイト・・・
"6日付の「占領下の日本 米軍用慰安婦がいた」の記事中" のキーワードを、Googleの検索オプションで“すべてのキーワードを含む”で検索すると・・・
http://www.google.com/search?hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%226%E6%97%A5%E4%BB%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC+%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E7%94%A8%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B%E4%B8%AD%22&num=50
ヒット数は堂々たる 3 件
まさかこれを見て情報戦はうまくいった、なんてケチなことは、どなたも決して思わないでいただきたい。そして、古森さんに御願いします。今からでも遅くはありませんから、是非ご自分でブログ読者宛てに、記事訂正の顛末をお書きください。
(ここまで)
これを読んでゾッとしました。
これでは、古森さんのようなカリスマ記者が、史実を都合良く捏造した記事を書き、それをネトウヨにエサとして与え続け、後日こっそり訂正するという手法を使えば、ネット上での周知の事実をいくらでも作り上げることが出来てしまいます。
そこで、これからはすでに誰かがブログで取り上げたエントリーでも、どんどん取り上げ“真実”を少しでも広めていこうと思います。
下記のエントリーは、カマヤンさんがすでに[呪的闘争]「恥辱の殿堂」古森義久が既存資料を新発見と報道で取り上げてますが再度紹介します。
「安禅不必須山水」より
古森さん「歴史ロンダリング」。(その5)新資料ではない
リンク先の“心理戦 尋問報告 第二号”というのは、数多い慰安所の中でも最も「マシ」な部類に属していたビルマのミッチナ慰安所に関する米軍の報告書で歴史修正主義者が昔から好んで持ち出す文書なんですが、それを新資料と偽り報告した古森さんに対し、ni0615さんがコメント応酬で、記事の出典が“心理戦 尋問報告 第二号”であることを認めさせ“新しい資料が見つかった”ということが嘘であったことを白状させています。
(こちらはリンク先をごらんください。)
※このエントリーは古森ブログにTBしています。
デマが大きいという意味では“大”新聞のサンケイ新聞ですが、その中でも特に古森義久氏はジャーナリストとして失格だ!と、あらためて思われた方応援クリックお願いします。
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↓それがこれ
「安禅不必須山水」より
デマは云ったモン勝ち? 古森さん「歴史ロンダリング」(その6)
(以下全文抜粋)
5月4日の産経新聞古森さんによるAP記事の紹介記事、
「 米軍も「慰安婦調達」 それを知ったホンダ議員「旧日本軍は強制」と強調」
では、ちょっとした(?)偽造がなされました。
→http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/165909/
それを産経新聞社に掛け合った人がいて
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
結局産経新聞は訂正文を掲載し、「米軍の命令により」を「米軍の許可により」に訂正ました
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-date-20070521.html
私も経過報告しました
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/176778/
しかし訂正を知った人はほとんどいません
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/177402/
筆者、古森義久さんが訂正コメントすら発表してないからです。
~~~~~~~~~~~~
ここでは、その後日談をもうしあげます。古森さんには、是非読んでいただきたいものです。
「デマは云ったものが勝ち」、偽情報がWEB上にいかに定着してしまうものか、恐ろしい数字が表れました。それはGoogleで検索した結果です。
(1)誤った情報「米軍の命令により売春施設」の入った記事を転載したままのサイト数。・・・"終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設" のキーワードを、Googleの検索オプションで“すべてのキーワードを含む”で検索すると・・・
http://www.google.com/search?q=%22%E7%B5%82%E6%88%A6%E7%9B%B4%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%86%85%E3%81%A7%E5%8D%A0%E9%A0%98%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E3%81%AE%E5%91%BD%E4%BB%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E5%A3%B2%E6%98%A5%E6%96%BD%E8%A8%AD%22&num=50&hl=ja&lr=lang_ja&as_qdr=all&start=50&sa=N
ヒット数は、 505 件
(2)訂正された情報「米軍の許可により売春施設」の入った記事を転載したままのサイト数。・・・"終戦直後の日本国内で占領米軍の許可により売春施設" のキーワードを、Googleの検索オプションで“すべてのキーワードを含む”で検索すると・・・
http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&as_qdr=all&q=%22%E7%B5%82%E6%88%A6%E7%9B%B4%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%86%85%E3%81%A7%E5%8D%A0%E9%A0%98%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E3%81%AE%E8%A8%B1%E5%8F%AF%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E5%A3%B2%E6%98%A5%E6%96%BD%E8%A8%AD%22&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja
ヒット数はなんと 6 件
その後、紙面では22日、Webでは23日訂正文がひそかに発表されました。
「訂正」
6日付の「占領下の日本 米軍用慰安婦がいた」の記事中、AP通信の報道の引用で「占領米軍(から)の命令」「米軍が命じた」とあるのは「米軍の許可」「米軍が許可した」の誤りでした。(産経新聞 2007年5月22日 国際面)
そこで
(3)5月22日に産経新聞が出した訂正文を引用したサイト・・・
"6日付の「占領下の日本 米軍用慰安婦がいた」の記事中" のキーワードを、Googleの検索オプションで“すべてのキーワードを含む”で検索すると・・・
http://www.google.com/search?hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%226%E6%97%A5%E4%BB%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC+%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E7%94%A8%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B%E4%B8%AD%22&num=50
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多くの有益な情報や速報を教えてくれる方がたくさんいることに、とても感謝してます。
でも若干1名だけ、顔真っ赤にした精神崩壊寸前の方が
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-)
(6 (_ _) <だから管理人は朝鮮帰れよ!
_|/ ∴ ノ 3 <朝鮮人の火病マンセー丸出し
/\_____ノ
【おそらく産経新聞の愛読者】
こういう書き込みをしつこくしてきます。
これでダメージ与えたと思い込んでるんだろなぁ。。。
* 、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 ,
_-'" `;ミ、
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ
>ミ/ 'γ、` ミ
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { <やれやれ
'| / レリ*
+ i ( }ィ'
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ヽ  ̄ / |__
`i、-- '´ |ソ: 【管理人】
今までコメントを秒殺で削除してきたけど、いいかげんウザイんで次からはIP晒しますからね。
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26 :名無しさん@七周年:2007/05/27(日) 19:55:32 ID:VQPpyhBT0
松岡も「自殺」したりして
↓
【ゲンダイ】農水省所管の「緑資源機構」談合事件で松岡農水相がおわび 笑わせるな!と日刊ゲンダイ
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180227975/
(魚拓)
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180227975/&date=20070528164158
<aさんがくれたコメントを追記>
予言といえば、このスレも凄いですよ
【自民党】緑資源談合、工事受注14業者が松岡農相に献金…献金しない業者と落札率に差
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180177975/
(追記:魚拓)
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180177975/&date=20070530000617
56 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 20:53:36 ID:jZXCmtYB0
松岡 逮捕は99%。
安部政権はその時点で、空中分解の死に体。
参議院は大敗。
そこまでは確実。
問題は、政界再編成だ。
自民が混乱状況なので、この場合、
小沢は自民の一部をひきぬく。つまり旧宏池会がまるごと民主となる。
自民は過半数を割る。総選挙なしで、新政権ができる。
あるいは新党をつくらせ連合政権を樹立する。
要するに、旧福田派以外は全部自民を離れるということだ。
参議院選挙は、総選挙以上の大混乱をもたらすよ。
61 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 20:58:09 ID:jZXCmtYB0
つまり
松岡が、自民を壊すわけ。
安部が早い時期に、松岡に引導を渡して、自民党を離党させていれば
こういうことにならなかった。脇が甘すぎるよ。。
松岡一人で自民が完全に崩壊する。
今のうちに裏組織に「変死」あるいは「自殺」させたほうがいいだろう。
彼が生きているかぎり、自民に未来はない。
誰が「松岡を殺すか」に自民党の未来はかかっている。
安部にそれができるかどうか?
73 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:05:26 ID:jZXCmtYB0
想定。
シナリオはこんな感じだろう。
何人かが松岡に極秘に接触。
自殺を言いふくめるが、松岡は、首を振って抵抗。
そして、隙を、みて逃げようとする。
3人ぐらいでおさえつける。
みなで屋上へ松岡を運ぶ。
めがねをはずさせ、靴をぬがす。
いやだ、いやだ、死にたくない。助けてくれーと大声をだす。
口をふさぐ。足を持ち上げ、屋上から放り出す。
声をあげて、落下。死亡。
関係者は口をそろえて、「とにかく落ち込んでいた。死にたい死にたい、
といつも口にしていた。」と証言。
検察も圧力をうけ内偵を中止。
週刊誌にも圧力。
これで参議院をのりきる。1ケ月以内に松岡が死ぬなら
どんな原因であろうと、殺された、と思って間違いない。
88 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:10:09 ID:jZXCmtYB0
松岡逮捕は絶対にない。
そのまえに彼は、自殺するか、突然死する。
突然死の方法としては、
強いアルコールをがんがん飲ませ、
足をもってぶんぶんふりまわす。
そして、脳溢血させる。
死亡しなくても、廃人にさせてしまえば、事件は闇に葬られる。
105 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:14:52 ID:jZXCmtYB0
ある関係者。
「さぁ。俺たちの出番だ。ことがすんだら、即成田空港にいって
半年は海外で身をひそめんとな。」
「家族には長期海外出張が近々ありそうだといっておけ。」
「体重軽いといいけどな。」
115 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:18:24 ID:jZXCmtYB0
言い含める言葉。
「わかってるな?」
「いやなんおことだか」
「ごまかさないでくださいよ。命をはって政治家してきたんでしょ。
それを証明しなくちゃ男じゃない。」
「いやわからないな。私は忙しい。かえる。」
「いや、かえしませんよ。あなたはここにいるんですよ。そしていなくなるんです。」
「なにを、する。ぁG工PFんJんじゅうXQじさぇWやめやめS」
128 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:28:06 ID:jZXCmtYB0
松岡は
ひたすら部屋からでないようにしているだろう。
あと手錠を用意している。いざ拉致されそうになったら、机でもなんでもいいから
手錠をはめて、そこらのものにつなげる。それで拉致される危険はずっとすくなくなる。
家族にも言い含めているだろう。
「万が一にでも、自分が死んだら、死因関係なく、殺されたとおもってくれ」
136 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:34:29 ID:jZXCmtYB0
安部との会話。想定。
安部「わかっているよね。。。」
松岡「ぃや?なんのことか・・」
安部「ぃやぃや、聡明な松岡さんだ。わかっている。」
松岡「(汗ばんで)なんのことでしょうか。わかりませんな。。。」
安部「(汗をしたたりおとしながら)わかっている。当然わかっている。」
松岡「(首をふりふり)いやわかりませんな。わかりませんよ。わかってたまるかっ。」
安部「(必死な形相で)いやわかってほしい。わかってほしいんだぁっ。」
3時間、これをやるんだな。。。
見ものだな。。。。
147 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:44:28 ID:jZXCmtYB0
松岡は
夜中にがばっとおきたりするんだろうな。。。
毎日、今日は逮捕されないか、明日は逮捕されないかと気が気がじゃないだろう。
一日が長いだろうなぁ。。。
夜中の10時になるとやっと安心するんだろうな。
さすがに10時以降の逮捕はないだろうし。
朝もつらいだろうな。8時以降は。
8時前に逮捕はないだろう。
家族とは毎日、これが最後と思って食事するのだろう。
すでに留置所差し入れようの下着を用意させているものと思われ。
156 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:48:49 ID:jZXCmtYB0
閣僚が逮捕されるよりは
辞任したほうがよい。
「以前からいっていましたように、持病が重く、閣僚・議員を辞任します。」
安部も「特別な水をのんでいないと、体の健康を維持できなかったようですが
それを国民に理解していただけなかったのはかえすがえすもお気の毒でした。」
検察との前打ち合わせとおり、一週間後に逮捕。
野党から追求されるも
安部「すでに自民党議員でもない一個人の問題です。」
と乗り切る。
169 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 22:00:37 ID:jZXCmtYB0
>>和歌山の談合では
>>現場に世耕弘成本人が居合わせてたらしいね
もう2度と2ちゃんねるで、彼の部隊が活躍することはないだろう。。
175 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 22:08:49 ID:jZXCmtYB0
何人
死人がでるかだな。。。
すでに1名自殺。。
まだまだ足りないだろうな。
(ここまで)
<ID:jZXCmtYB0の予言通りの続報をさらに追記>
緑資源前身元理事が自殺 東京地検 前日まで聴取
http://megalodon.jp/?url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007052902019999.html&date=20070530015517
(2007年05月29日 東京新聞 一部抜粋)
二十九日午前五時半ごろ、横浜市青葉区青葉台一のマンション駐車場で、独立行政法人「緑資源機構」の前身である旧森林開発公団の元理事で無職の山崎進一氏(76)が転落死しているのが見つかった。山崎氏は、同機構の請負業者が加入する任意団体「特定森林地域協議会」(特森協、昨年十一月解散)の副会長を数年前まで務めた。東京地検特捜部は二十六日に同氏の自宅を捜索し、同日から二十八日まで同氏を任意で事情聴取。二十九日も午後から聴取を行う予定だった。
(全文はソース)
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松岡も「自殺」したりして
↓
【ゲンダイ】農水省所管の「緑資源機構」談合事件で松岡農水相がおわび 笑わせるな!と日刊ゲンダイ
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180227975/
(魚拓)
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180227975/&date=20070528164158
<aさんがくれたコメントを追記>
予言といえば、このスレも凄いですよ
【自民党】緑資源談合、工事受注14業者が松岡農相に献金…献金しない業者と落札率に差
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180177975/
(追記:魚拓)
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180177975/&date=20070530000617
56 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 20:53:36 ID:jZXCmtYB0
松岡 逮捕は99%。
安部政権はその時点で、空中分解の死に体。
参議院は大敗。
そこまでは確実。
問題は、政界再編成だ。
自民が混乱状況なので、この場合、
小沢は自民の一部をひきぬく。つまり旧宏池会がまるごと民主となる。
自民は過半数を割る。総選挙なしで、新政権ができる。
あるいは新党をつくらせ連合政権を樹立する。
要するに、旧福田派以外は全部自民を離れるということだ。
参議院選挙は、総選挙以上の大混乱をもたらすよ。
61 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 20:58:09 ID:jZXCmtYB0
つまり
松岡が、自民を壊すわけ。
安部が早い時期に、松岡に引導を渡して、自民党を離党させていれば
こういうことにならなかった。脇が甘すぎるよ。。
松岡一人で自民が完全に崩壊する。
今のうちに裏組織に「変死」あるいは「自殺」させたほうがいいだろう。
彼が生きているかぎり、自民に未来はない。
誰が「松岡を殺すか」に自民党の未来はかかっている。
安部にそれができるかどうか?
73 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:05:26 ID:jZXCmtYB0
想定。
シナリオはこんな感じだろう。
何人かが松岡に極秘に接触。
自殺を言いふくめるが、松岡は、首を振って抵抗。
そして、隙を、みて逃げようとする。
3人ぐらいでおさえつける。
みなで屋上へ松岡を運ぶ。
めがねをはずさせ、靴をぬがす。
いやだ、いやだ、死にたくない。助けてくれーと大声をだす。
口をふさぐ。足を持ち上げ、屋上から放り出す。
声をあげて、落下。死亡。
関係者は口をそろえて、「とにかく落ち込んでいた。死にたい死にたい、
といつも口にしていた。」と証言。
検察も圧力をうけ内偵を中止。
週刊誌にも圧力。
これで参議院をのりきる。1ケ月以内に松岡が死ぬなら
どんな原因であろうと、殺された、と思って間違いない。
88 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:10:09 ID:jZXCmtYB0
松岡逮捕は絶対にない。
そのまえに彼は、自殺するか、突然死する。
突然死の方法としては、
強いアルコールをがんがん飲ませ、
足をもってぶんぶんふりまわす。
そして、脳溢血させる。
死亡しなくても、廃人にさせてしまえば、事件は闇に葬られる。
105 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:14:52 ID:jZXCmtYB0
ある関係者。
「さぁ。俺たちの出番だ。ことがすんだら、即成田空港にいって
半年は海外で身をひそめんとな。」
「家族には長期海外出張が近々ありそうだといっておけ。」
「体重軽いといいけどな。」
115 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:18:24 ID:jZXCmtYB0
言い含める言葉。
「わかってるな?」
「いやなんおことだか」
「ごまかさないでくださいよ。命をはって政治家してきたんでしょ。
それを証明しなくちゃ男じゃない。」
「いやわからないな。私は忙しい。かえる。」
「いや、かえしませんよ。あなたはここにいるんですよ。そしていなくなるんです。」
「なにを、する。ぁG工PFんJんじゅうXQじさぇWやめやめS」
128 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:28:06 ID:jZXCmtYB0
松岡は
ひたすら部屋からでないようにしているだろう。
あと手錠を用意している。いざ拉致されそうになったら、机でもなんでもいいから
手錠をはめて、そこらのものにつなげる。それで拉致される危険はずっとすくなくなる。
家族にも言い含めているだろう。
「万が一にでも、自分が死んだら、死因関係なく、殺されたとおもってくれ」
136 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:34:29 ID:jZXCmtYB0
安部との会話。想定。
安部「わかっているよね。。。」
松岡「ぃや?なんのことか・・」
安部「ぃやぃや、聡明な松岡さんだ。わかっている。」
松岡「(汗ばんで)なんのことでしょうか。わかりませんな。。。」
安部「(汗をしたたりおとしながら)わかっている。当然わかっている。」
松岡「(首をふりふり)いやわかりませんな。わかりませんよ。わかってたまるかっ。」
安部「(必死な形相で)いやわかってほしい。わかってほしいんだぁっ。」
3時間、これをやるんだな。。。
見ものだな。。。。
147 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:44:28 ID:jZXCmtYB0
松岡は
夜中にがばっとおきたりするんだろうな。。。
毎日、今日は逮捕されないか、明日は逮捕されないかと気が気がじゃないだろう。
一日が長いだろうなぁ。。。
夜中の10時になるとやっと安心するんだろうな。
さすがに10時以降の逮捕はないだろうし。
朝もつらいだろうな。8時以降は。
8時前に逮捕はないだろう。
家族とは毎日、これが最後と思って食事するのだろう。
すでに留置所差し入れようの下着を用意させているものと思われ。
156 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 21:48:49 ID:jZXCmtYB0
閣僚が逮捕されるよりは
辞任したほうがよい。
「以前からいっていましたように、持病が重く、閣僚・議員を辞任します。」
安部も「特別な水をのんでいないと、体の健康を維持できなかったようですが
それを国民に理解していただけなかったのはかえすがえすもお気の毒でした。」
検察との前打ち合わせとおり、一週間後に逮捕。
野党から追求されるも
安部「すでに自民党議員でもない一個人の問題です。」
と乗り切る。
169 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 22:00:37 ID:jZXCmtYB0
>>和歌山の談合では
>>現場に世耕弘成本人が居合わせてたらしいね
もう2度と2ちゃんねるで、彼の部隊が活躍することはないだろう。。
175 名無しさん@七周年 New! 2007/05/26(土) 22:08:49 ID:jZXCmtYB0
何人
死人がでるかだな。。。
すでに1名自殺。。
まだまだ足りないだろうな。
(ここまで)
<ID:jZXCmtYB0の予言通りの続報をさらに追記>
緑資源前身元理事が自殺 東京地検 前日まで聴取
http://megalodon.jp/?url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007052902019999.html&date=20070530015517
(2007年05月29日 東京新聞 一部抜粋)
二十九日午前五時半ごろ、横浜市青葉区青葉台一のマンション駐車場で、独立行政法人「緑資源機構」の前身である旧森林開発公団の元理事で無職の山崎進一氏(76)が転落死しているのが見つかった。山崎氏は、同機構の請負業者が加入する任意団体「特定森林地域協議会」(特森協、昨年十一月解散)の副会長を数年前まで務めた。東京地検特捜部は二十六日に同氏の自宅を捜索し、同日から二十八日まで同氏を任意で事情聴取。二十九日も午後から聴取を行う予定だった。
(全文はソース)
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「南京大虐殺」「慰安婦」を否定 民主・松原議員
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-26/2007052602_02_0.html
(2007年5月26日 赤旗)
民主党の松原仁議員は二十五日の衆院外務委員会で、四十五分間の質問時間のほとんどを「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」がなかったとの主張にあて、政府に中国政府の見解を「訂正」させるよう執拗(しつよう)に迫りました。
松原氏は、首相の靖国参拝を推し進め、九条改憲を求める日本会議国会議員懇談会のメンバー。
南京大虐殺について岩屋毅外務副大臣が「何かしらの殺りく、略奪があったことは否定できない」とのべたことに松原氏は、「きわめて副大臣の答弁はあぶない。あったと認めようとしている」と批判。「三十万というロットでなくて、大虐殺そのものがなかったと極めて客観的に考えている」などと否定しました。
また「従軍慰安婦」問題についても、中国の稚拙な情報戦によるものなどと決め付け、「ありえない」「実際、そんなものはなかった」と暴言をはきました。
過去の日本の侵略戦争を正当化する「靖国」派は自民党だけでなく、民主党にも根を深くもっていることを示す質問です。
(以上)
<ビデオライブラリ>
質疑者 開始時間 所要時間
松原仁(民主党・無所属クラブ) 10時 51分 47分
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm

▼南京虐殺を全否定する発言
(14分30秒ぐらいから)
(当時の外国人記者が記者会見の場で)かんたんに言えばなかったから、言わなかった(中略)嘘だというのがバレてしまうから言わなかってのだろうと考えるのが普通
(20分10秒ぐらいから)
30万なんて話でもないし、3万という話でもないし、3千という話でもないし、なかったんですよ
そういうふうに解釈するのがあたりまえだと
(中略)
大虐殺があったならなんでこのとき言わなかったのか、言えなかった、なかったから
(28分ぐらいから)
大虐殺そのものがなかったと、きわめて客観的に考えている国会議員もいる
(馬鹿らしくなり、ここでギブアップ)
虐殺の人数については諸説あるが、さすがに「南京虐殺はなかった」はバカ丸出し
<追記 関連ブログ>
「13日の水曜日」より 民主党の「無かった」派議員、外務委員会発言概要
碧猫さんが、ビデオライブラリの要点と印象に残った発言をテキスト化
温家宝首相への公開質問状のリンクあり
「blog*色即是空」より 戦争責任否定派、松原仁議員に反論します
正確な資料をもとに、松原議員のデタラメ発言を指摘
クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)より
東中野・藤岡両氏に「洗脳」される?自民・民主両党の議員たち
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http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-26/2007052602_02_0.html
(2007年5月26日 赤旗)
民主党の松原仁議員は二十五日の衆院外務委員会で、四十五分間の質問時間のほとんどを「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」がなかったとの主張にあて、政府に中国政府の見解を「訂正」させるよう執拗(しつよう)に迫りました。
松原氏は、首相の靖国参拝を推し進め、九条改憲を求める日本会議国会議員懇談会のメンバー。
南京大虐殺について岩屋毅外務副大臣が「何かしらの殺りく、略奪があったことは否定できない」とのべたことに松原氏は、「きわめて副大臣の答弁はあぶない。あったと認めようとしている」と批判。「三十万というロットでなくて、大虐殺そのものがなかったと極めて客観的に考えている」などと否定しました。
また「従軍慰安婦」問題についても、中国の稚拙な情報戦によるものなどと決め付け、「ありえない」「実際、そんなものはなかった」と暴言をはきました。
過去の日本の侵略戦争を正当化する「靖国」派は自民党だけでなく、民主党にも根を深くもっていることを示す質問です。
(以上)
<ビデオライブラリ>
質疑者 開始時間 所要時間
松原仁(民主党・無所属クラブ) 10時 51分 47分
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm

▼南京虐殺を全否定する発言
(14分30秒ぐらいから)
(当時の外国人記者が記者会見の場で)かんたんに言えばなかったから、言わなかった(中略)嘘だというのがバレてしまうから言わなかってのだろうと考えるのが普通
(20分10秒ぐらいから)
30万なんて話でもないし、3万という話でもないし、3千という話でもないし、なかったんですよ
そういうふうに解釈するのがあたりまえだと
(中略)
大虐殺があったならなんでこのとき言わなかったのか、言えなかった、なかったから
(28分ぐらいから)
大虐殺そのものがなかったと、きわめて客観的に考えている国会議員もいる
(馬鹿らしくなり、ここでギブアップ)
虐殺の人数については諸説あるが、さすがに「南京虐殺はなかった」はバカ丸出し
<追記 関連ブログ>
「13日の水曜日」より 民主党の「無かった」派議員、外務委員会発言概要
碧猫さんが、ビデオライブラリの要点と印象に残った発言をテキスト化
温家宝首相への公開質問状のリンクあり
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「朝まで生テレビ!」
激論!日本国憲法
5月25日(金)深夜25:20~28:20 生放送
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/
司会:田原 総一朗
進行:渡辺宜嗣、長野智子
パネリスト:
平沢 勝栄(自民党・衆議院議員)
高木 陽介(公明党・衆議院議員)
細野 豪志(民主党・衆議院議員)
仁比 聡平(日本共産党・参議院議員)
辻元 清美(社民党・衆議院議員)
伊藤 真(伊藤塾塾長)
今井 一(ジャーナリスト)
潮匡人(帝京大学准教授)
香山 リカ(精神科医)
姜 尚中(東京大学教授)
小林 節(慶応大学教授)
竹花 光範(駒澤大学教授)
田村 重信(慶応大学講師)
森本 敏(拓殖大学海外事情研究所所長)
朝まで生テレビ 憲法改正アンケート結果
解決不能のhagakurekakugoさんからお借りしました。
後で感想を書きたいと思います。
(つづく)
(つづき)
最初に言っときますが、自分は朝生をマトモに見るようになったの去年ぐらいからなんで、間違った見方をしてるかもしれません (^^;
あと、自分のスタンスは
国民投票法案(一応賛成)。日の丸君が代には抵抗ありません(ただし強制はダメ)。日本国憲法の理念は大切にしたい。自衛隊→自衛軍(べつにOK)。憲法改正(宗教右翼とズブズブな安倍自民の改正案には反対)てな感じです。
森本 敏(拓殖大学海外事情研究所所長)
憲法改正の賛成は多いが、9条の場合は変えない方がいいという意見が多いことについて
「多くの国民はなんとなく現実にあわないなあ、と、戦後半世紀経って漠然とした感じの憲法改正案が過半数をしめてると思います。ただイラク戦争やアフガン、中東、湾岸などがあり、改正の事態や内容がわかればわかるほど慎重な意見がでてきている」と発言
この人の知識に裏付けされた、わりと中立的な視点は好きなんですが、自民党の御用学者なんですよね?
細野 豪志(民主党・衆議院議員)
憲法改正の賛成は多いが、9条の場合は変えない方がいいという意見が多いことについて
「安倍政権下での憲法改正に慎重な意見が出てきてるんだと思います」と発言。
とくに、感想なし。民主なら枝野さんあたりに出てほしかったなぁ。
平沢 勝栄(自民党・衆議院議員)
まぁ、いつも通りデマカセばかりでした。
売国政党逝ってよし!
高木 陽介(公明党・衆議院議員)
憲法改正について安倍政権と矛盾する発言多し。
じゃあなんで連立してんだよ。創価は逝ってよし!
姜 尚中(東京大学教授)
この人の本とかは読んだことありませんが、ウヨ論客の捏造発言をゆるさない姿勢が個人的に好きです。話にも説得力があり、知識もハンパない。
辻元 清美(社民党・衆議院議員)
「(自民党憲法草案について)その時の政府の多数決により変わってしまう」と発言
まぁ、しゃべるしゃべる、一番しゃべってたんじゃないかなぁ。でも、憲法の話に関しては説得力があり、今まで嫌いでしたが見直しました。あと、「たーらさん」と言うのやめれ。
仁比 聡平(日本共産党・参議院議員)
おい、おい、「自衛戦争も認めない」って、党の方針と違うこと言うなよ。。。orz
この発言後、田原さんが彼に話をフルことはほとんどありませんでした。
共産党はこんなヤツTV出すな!(弱者の味方共産党は応援してます。)
小林 節(慶応大学教授)
「イラク戦争に対して、政府が概念と論理を雑に使い分ける。(非戦闘地域という詭弁のこと)」
「(自民党憲法草案について)憲法をなにもわかってない」と発言
やはり、この人抜きには憲法を語れない。ちなみに、小林さんのような改憲論なら賛成です。
伊藤 真(伊藤塾塾長)
イケメン、しかもイイ声。
憲法をもっと具体的にみんなで語ろうよ、と、いったスタンスの護憲派。
自分的には、ちょっと・・・ですが、応援はしたい。
今井 一(ジャーナリスト)
だれ、この人?と思いましたが、改憲派、護憲派それぞれに答えづらい、いい質問をしてくれてました。
やけに楽しそうなのが印象的。
香山 リカ(精神科医)
発言する場面は少なかったですが、番組の最後のほうで「ほとんどの国民は憲法について無関心」と言ってました。
自分も政治に興味を持ったのが去年からなんで、妙に納得。
竹花 光範(駒澤大学教授)
いたの?
実況スレでは「ヅラ」との書き込み多数。
田村 重信(慶応大学講師)
「(共産党について)あんたダメだな~」と発言。
安倍のブレーンらしい終始ダメ男ぶり全快でした。最後は自分の書いた本を紹介してましたw
八木秀次と同じ髪型。(アイパー系)
潮匡人(帝京大学准教授)
がんばって発言してましたが、どう見ても周りに比べ格下、説得力もイマイチで姜さんにかる~く論破される場面も。
場違いなんだら、産経、正論、サピオの3バカの壁に閉じこもってればいいのに。。。
以上、番組での各論客の発言を紹介しようと思ったんですが、あまりに番組が長いため、めんどくさくなり人物紹介になってしまいました(^^;
個人的には、森本vs姜、小林をもっと見たかったです。。。
まぁ、外交がヘタな日本政府が、アメリカに戦争に参加するよう言われたとき「NO!」と言える9条は「建て前」として残しておくほうがいいと思うし、改正にはもっと長いスパンが必要で、安倍政権のような対米従属を推し進めるような9条改正には反対です。
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細野 豪志(民主党・衆議院議員)
仁比 聡平(日本共産党・参議院議員)
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伊藤 真(伊藤塾塾長)
今井 一(ジャーナリスト)
潮匡人(帝京大学准教授)
香山 リカ(精神科医)
姜 尚中(東京大学教授)
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竹花 光範(駒澤大学教授)
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森本 敏(拓殖大学海外事情研究所所長)
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後で感想を書きたいと思います。
(つづく)
(つづき)
最初に言っときますが、自分は朝生をマトモに見るようになったの去年ぐらいからなんで、間違った見方をしてるかもしれません (^^;
あと、自分のスタンスは
国民投票法案(一応賛成)。日の丸君が代には抵抗ありません(ただし強制はダメ)。日本国憲法の理念は大切にしたい。自衛隊→自衛軍(べつにOK)。憲法改正(宗教右翼とズブズブな安倍自民の改正案には反対)てな感じです。
森本 敏(拓殖大学海外事情研究所所長)
憲法改正の賛成は多いが、9条の場合は変えない方がいいという意見が多いことについて
「多くの国民はなんとなく現実にあわないなあ、と、戦後半世紀経って漠然とした感じの憲法改正案が過半数をしめてると思います。ただイラク戦争やアフガン、中東、湾岸などがあり、改正の事態や内容がわかればわかるほど慎重な意見がでてきている」と発言
この人の知識に裏付けされた、わりと中立的な視点は好きなんですが、自民党の御用学者なんですよね?
細野 豪志(民主党・衆議院議員)
憲法改正の賛成は多いが、9条の場合は変えない方がいいという意見が多いことについて
「安倍政権下での憲法改正に慎重な意見が出てきてるんだと思います」と発言。
とくに、感想なし。民主なら枝野さんあたりに出てほしかったなぁ。
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まぁ、いつも通りデマカセばかりでした。
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じゃあなんで連立してんだよ。創価は逝ってよし!
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この人の本とかは読んだことありませんが、ウヨ論客の捏造発言をゆるさない姿勢が個人的に好きです。話にも説得力があり、知識もハンパない。
辻元 清美(社民党・衆議院議員)
「(自民党憲法草案について)その時の政府の多数決により変わってしまう」と発言
まぁ、しゃべるしゃべる、一番しゃべってたんじゃないかなぁ。でも、憲法の話に関しては説得力があり、今まで嫌いでしたが見直しました。あと、「たーらさん」と言うのやめれ。
仁比 聡平(日本共産党・参議院議員)
おい、おい、「自衛戦争も認めない」って、党の方針と違うこと言うなよ。。。orz
この発言後、田原さんが彼に話をフルことはほとんどありませんでした。
共産党はこんなヤツTV出すな!(弱者の味方共産党は応援してます。)
小林 節(慶応大学教授)
「イラク戦争に対して、政府が概念と論理を雑に使い分ける。(非戦闘地域という詭弁のこと)」
「(自民党憲法草案について)憲法をなにもわかってない」と発言
やはり、この人抜きには憲法を語れない。ちなみに、小林さんのような改憲論なら賛成です。
伊藤 真(伊藤塾塾長)
イケメン、しかもイイ声。
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自分的には、ちょっと・・・ですが、応援はしたい。
今井 一(ジャーナリスト)
だれ、この人?と思いましたが、改憲派、護憲派それぞれに答えづらい、いい質問をしてくれてました。
やけに楽しそうなのが印象的。
香山 リカ(精神科医)
発言する場面は少なかったですが、番組の最後のほうで「ほとんどの国民は憲法について無関心」と言ってました。
自分も政治に興味を持ったのが去年からなんで、妙に納得。
竹花 光範(駒澤大学教授)
いたの?
実況スレでは「ヅラ」との書き込み多数。
田村 重信(慶応大学講師)
「(共産党について)あんたダメだな~」と発言。
安倍のブレーンらしい終始ダメ男ぶり全快でした。最後は自分の書いた本を紹介してましたw
八木秀次と同じ髪型。(アイパー系)
潮匡人(帝京大学准教授)
がんばって発言してましたが、どう見ても周りに比べ格下、説得力もイマイチで姜さんにかる~く論破される場面も。
場違いなんだら、産経、正論、サピオの3バカの壁に閉じこもってればいいのに。。。
以上、番組での各論客の発言を紹介しようと思ったんですが、あまりに番組が長いため、めんどくさくなり人物紹介になってしまいました(^^;
個人的には、森本vs姜、小林をもっと見たかったです。。。
まぁ、外交がヘタな日本政府が、アメリカに戦争に参加するよう言われたとき「NO!」と言える9条は「建て前」として残しておくほうがいいと思うし、改正にはもっと長いスパンが必要で、安倍政権のような対米従属を推し進めるような9条改正には反対です。
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[慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について(2)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-64.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑→確信へ
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-66.html
の続きです。
産経新聞が、5月5日付けの古森義久記者によるAP電捏造記事を、謝罪訂正する事に決まったよヽ(・∀・ )ノ
↓訂正内容
産経:「米軍が命令というのは誤りで、米軍が許可に訂正しますとして、5月22日の新聞紙面上、国際欄に訂正記事を出します」
とのこと
なお「SankeiWeb」サイト上の記事は、すでに訂正してありました。
↓こちら
占領時、米軍も「慰安婦」調達を許可 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070521215740
<リンク先に飛ぶのが、めんどくさい方は以下参照>
▼産経新聞・古森義久記者が捏造した記事
占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615
(産経 2007/05/05 一部抜粋)
>AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという…
(中略)
>AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じ…
(以下略 全文はソース)
今回の謝罪決定に至までに、大変な時間がかかったのは、同記者が、社内で特別記者という地位にあり大きな力を持っているため、同社社長以外は同記者の失態行為を正せなかったことによる。
AP電原文の記述内容は平易であり、古森記事で問題にされているフレーズ(「米軍が命令」)の使用は、うっかり誤訳をするようなものではありません。しかも記事題名のほか、文中で再三に渡り「米軍が命令」と繰り返している点からも、間違いなどではなく、明かに意識的な捏造と断定せざるえません。つまり古森記者は、ジャーナリストの基本中の基本において失格です。
http://www.asyura2.com/07/war92/msg/351.html
【追記です】
古森記者は、サンケイ紙面に捏造記事の訂正文が載ってから24時間も経たないうちに、自身のブログで、シンパからのコメントに以下のようなレスをしてます。。。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/176869/
2007/05/23 03:13
Commented by 古森義久 さん
「へんな人たちが一斉に湧いてきて」というと、なにかボウフラのようですね。ボウフラはそのうち蚊になるんでしたっけ。でもオタマジャクシには食べられていまうのかな。
ご提案のように、まともな議論を続けていくよう努めます。
でも人間って、匿名、覆面だと、ずいぶんとデマ、ホラ、デタラメが書けるもんだと、あきれかえっています。
いやいや、実名、顔出しで、デマ、ホラ、デタラメが書ける無反省なコモリンに呆れ返っています。
しかも、65歳を過ぎた“一流”新聞の記者が、一般読者に向ってコレですよ。
正式な謝罪として古森談話の表明が必要だ!
■古森義久氏によるデマ関連リンク
↓
・デマをばら撒く古森義久氏と美化された自己イメージに酔いつつある日本人
・読者を欺き続けるデマゴーグ・古森義久
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について(2)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-64.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑→確信へ
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-66.html
の続きです。
産経新聞が、5月5日付けの古森義久記者によるAP電捏造記事を、謝罪訂正する事に決まったよヽ(・∀・ )ノ
↓訂正内容
産経:「米軍が命令というのは誤りで、米軍が許可に訂正しますとして、5月22日の新聞紙面上、国際欄に訂正記事を出します」
とのこと
なお「SankeiWeb」サイト上の記事は、すでに訂正してありました。
↓こちら
占領時、米軍も「慰安婦」調達を許可 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070521215740
<リンク先に飛ぶのが、めんどくさい方は以下参照>
▼産経新聞・古森義久記者が捏造した記事
占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615
(産経 2007/05/05 一部抜粋)
>AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという…
(中略)
>AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じ…
(以下略 全文はソース)
今回の謝罪決定に至までに、大変な時間がかかったのは、同記者が、社内で特別記者という地位にあり大きな力を持っているため、同社社長以外は同記者の失態行為を正せなかったことによる。
AP電原文の記述内容は平易であり、古森記事で問題にされているフレーズ(「米軍が命令」)の使用は、うっかり誤訳をするようなものではありません。しかも記事題名のほか、文中で再三に渡り「米軍が命令」と繰り返している点からも、間違いなどではなく、明かに意識的な捏造と断定せざるえません。つまり古森記者は、ジャーナリストの基本中の基本において失格です。
http://www.asyura2.com/07/war92/msg/351.html
【追記です】
古森記者は、サンケイ紙面に捏造記事の訂正文が載ってから24時間も経たないうちに、自身のブログで、シンパからのコメントに以下のようなレスをしてます。。。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/176869/
2007/05/23 03:13
Commented by 古森義久 さん
「へんな人たちが一斉に湧いてきて」というと、なにかボウフラのようですね。ボウフラはそのうち蚊になるんでしたっけ。でもオタマジャクシには食べられていまうのかな。
ご提案のように、まともな議論を続けていくよう努めます。
でも人間って、匿名、覆面だと、ずいぶんとデマ、ホラ、デタラメが書けるもんだと、あきれかえっています。
いやいや、実名、顔出しで、デマ、ホラ、デタラメが書ける無反省なコモリンに呆れ返っています。
しかも、65歳を過ぎた“一流”新聞の記者が、一般読者に向ってコレですよ。
正式な謝罪として古森談話の表明が必要だ!
■古森義久氏によるデマ関連リンク
↓
・デマをばら撒く古森義久氏と美化された自己イメージに酔いつつある日本人
・読者を欺き続けるデマゴーグ・古森義久

Stiffmuscleさんが、アジア女性基金の方のPDFファイルを翻訳してくれたので紹介します。
アジア女性基金-歴史の教訓とする事業
http://www.awf.or.jp/program/index.html
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第5巻p.177-179。
*日本語簡訳はp.113-115(いずれもAcrobat Readerのページ表示)
ATIS Research Reports No. 120 Amenities in the Japanese Armed Force, Nov. 15, 1945,
連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 1945年11月15日
(引用開始)
b. BURMA
b. ビルマ
(1) A prisoner of war, a civilian brothel owner captured with his wife and twenty army prostitutes near WAINGMAW on 10 August, 1944 stated:
(1) 捕虜(1944年8月10日ワイモウ付近で、その妻および従軍売春婦20名とともに捕獲された一般市民の売春宿経営者)の供述:
“Prisoner of war, his wife and sister-in-law had made some money as restaurant keepers in KEIJO, KOREA, but their trade declining. They looked for an opportunity to make more money and applied to Army Headquarters in KEIJO for permission to take “comfort girls” from KOREA to BURMA. According to prisoner of war, the suggestion originated from Army Headquarters and was passed to a number of similar Japanese ‘business men’ in KOREA.
捕虜、その妻、および義理の姉妹は、朝鮮の京城にて食堂経営者としてそれなりに稼いでいたが、客足は減ってきていた。彼らはより多く稼ぐ機会を探していたので、「慰安婦」を京城からビルマへ連れて行く許可を京城の陸軍司令部に申請した。捕虜によると、その示唆は、もともと陸軍司令部から出たもので、京城にいる捕虜と同じような多数の日本人「実業家」たちに伝えられていた。
“Prisoner of war purchased 22 Korean girls, paying their families from 300 to 1000 yen according to the personality, looks, and age of the girl. These 22 girls were of ages from 19 to 31. They became the sole property of prisoner of war and the Army made no profit from them. Headquarters, Korean Army gave him a letter addressed to all military headquarters of the Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, ransport, rations, medical attention, etc.
捕虜は朝鮮人女性22名を購入し、女性の性格、容姿、年齢に応じて300~1000円を彼女の家族に支払った。これら22名の女性の年齢は19~31歳であった。女性たちは捕虜の占有財産となっていたので、陸軍は彼女たちから利益を得なかった。朝鮮軍司令部は、日本陸軍の全ての軍司令部宛ての書簡を捕虜に与え、移送、食糧、医療など、捕虜が必要とした場合の援助は全て提供するよう要請した。
“Leaving his sister-in-law to carry on the restaurant, prisoners of war and his wife, with their 22 girls, embarked at FUSAN on 10 July 1942 in a group of 703 girls, all Korean, and some 90 Japanese men and women, all of them of the same base sort as himself. They sailed on a 4000 ton passenger ship in a convoy of seven ships. Free passage tickets were provided by Army headquarters, but prisoner of war paid for all meals during the voyage. They called at FORMOSA, where 22 other girls bound for SINGAPORE were taken on board, and at SINGAPORE they transferred to another ship, arriving at RANGOON on 20 August 1942.
食堂を続けるために義理の姉妹を残して、捕虜とその妻は、22名の女性を連れて、女性703名(全員が朝鮮人)および日本人男女90名程度(全員が捕虜と同じようないかがわしい者たち)からなる一行で、1942年7月11日に釜山を出航した。7隻からなる船団の中で、一行は4000トンの旅客船に搭乗して航行した。陸軍司令部からは無料乗船券が提供されたが、航海中の食事は捕虜が全額支払った。台湾に寄港した際、シンガポールへ向かう女性22名が新たに乗船した。その後、シンガポールに寄港した際に、一行は別の船に乗り換え、1942年8月20日にラングーンに到着した。
“At RANGOON they were divided into groups of 20 to 30 girls in each and dispersed to various parts of BURMA, each group being attached to various regiments, units of formation, so that each had its own brothel (s).
ラングーンで、一行は20~30名ずつのグループに分けられ、各グループは異なった連隊、部隊、もしくは中隊に配属され、ビルマ各地へ分散して行ったため、各グループが独自の売春宿を持つようになった。
“Prisoner of war’s group was attached to 114 Infantry Regiment. They spent some months at GOUNGOO, MEIKTILA, and at MAYMYO, following their trade, and then arrived at MYITKYINA (about January 1943). There were already two brothels established in MYITKYINA, so altogether there were three brothels with 63 girls in all: prisoner of war’s house, known as KYOEI, with 22 Korean girls; the KINSUI house with 20 Korean girls; and the MOMOYA house with 21 Chinese girls, who had been purchased from CANTON on the same conditions as the Koreans. There were Japanese girls in houses in the rear areas, as for example at MAYMYO where they formed two of the eight houses there, but none in the forward areas.
捕虜のグループは歩兵第114連隊に配属され、客に追随して、タウングー、メイクテーラ、およびメイミョーで数ヶ月を過ごした後、(1943年1月ごろ)ミッチナに到着した。すでにミッチナには売春宿2軒が設置されていたので、売春宿は3軒、女性は総計63名ということになった。内訳は、捕虜の売春宿であったキョウエイが朝鮮人女性22名、キンスイが朝鮮人女性20名、そしてモモヤが中国人女性21名であった。この中国人女性たちは、ここの韓国人女性たちと同一条件で広東で購入された。後方地域には慰安所に日本人女性がいたが(例:メイミョーでは8軒の慰安所のうち2軒が日本人女性で成り立っていた。)、前線地域には日本人女性はいなかった。
“Every “comfort girl” was employed on the following contract conditions. She received fifty percent of her own gross taking and was provided with free passage, free food and free medical treatment. The passage and medical treatment were provided by the Army authorities, the food was purchased by the brothel owner with the assistance of the Army supply depots.
The owners made other profits by selling clothing, necessities and luxuries to the girls at exorbitant charges. When a girl is able to repay the sum of money paid to her family, plus interest, she should be provided with a free return passage to KOREA, and then considered free. But owning to war conditions, no one of prisoner of war’s group had so far been allowed to leave; although in June 1943, 15 Army Headquarters had arranged to return home those girls who were free from debt, and one girl who fulfilled these conditions and wished to return was easily persuaded to remain.
「慰安婦」は全員、次のような契約条件で雇用されていた。慰安婦は自身の総売上の50%を受け取り、無料の通行、無料の食事、および無料の治療が与えられる。通行と治療は陸軍当局が提供し、食糧は、陸軍補給部隊の支援を受け、売春宿経営者が購入する。経営者たちは、衣類、生活必需品、および贅沢品を女性たちに法外な値段で売り、そこからも利益を得ていた。女性が家族にたいして支払われた合計金額とその利子を返済したときは、朝鮮までの無料帰国通行券が与えられ、その後、自由あると認められることになっていた。しかし、戦況のために、捕虜のグループでは、これまでに、帰国を許可された者はいなかった。もっとも、1943年に、第15師団司令部が借金のない女性を帰郷させるべく手配し、これらの条件を満たして帰国を希望した女性が1名いたが、留まるよう即座に説得された。
“In prisoner of war’s house, the maximum gross takings of a girl were around 1500 yen per month, the minimum around 300 yen per month, or by rule of the house, the girl had to pay to the brothel owner a minimum of 150 yen per month.
捕虜の慰安所では、女性の最高総売上は1ヶ月あたり1500円前後、最低総売上は1ヶ月あたり300円前後であった、もしくは、この慰安所の規定により、女性は最低でも1ヶ月あたり150円を慰安所の経営者に支払わなくてはならなかった。
“The scale of charges and time-table was fixed by instructions from the regiment, the time-table being so contrived that officers, noncommissioned officers and men would not meet each other at the same time. The schedule was strictly adhered to: and noncommissioned officers and men were supposed to visit the brothel only once weekly, officers as often as they wished. Payment was made on a ticket system, the girl retaining the ticket, which was of cardboard about two inches square, bearing the name of the house, the regimental seal, and the price of the ticket. In prisoner of war's house the schedule was originally laid down as follows:
Soldiers 1000-1500 hours charge 1.50 yen
Noncommissioned officers
1500-1700 hours charge 3 yen
Officers 2100-2359 hours charge 5 yen
Officers 2359 morning charge 20 yen
料金と時間帯は連隊からの指示によって決定されていたが、時間帯は非常に巧妙に練られており、将校、下士官、および兵卒が、同じ時間にお互いに顔を合わせることはなかった。スケジュールは厳格に順守されていた。下士官と兵卒は週1回しか売春宿に行くことができないものとされた一方で、将校は望むだけ行くことができた。支払いはチケット方式であり、女性がチケットを持っていた。チケットは2インチ四方の厚紙で、慰安所の名前、師団の印、およびチケットの料金が書かれていた。捕虜の慰安所では、当初、以下のようなスケジュールが定められていた。
兵卒 10:00~15:00 料金 1円50銭
下士官 15:00~17:00 料金 3円
将校 21:00~23:59 料金 5円
将校 23:59~朝 料金 20円
“But on orders of Colonel MARUYAMA, the charge were later reduced as follows, the time-table remaining as before
Soldiers 1.50 yen
Noncommissioned officers 2 yen
Officers 5 yen
Officers midnight morning 10 yen
しかし、後に、丸山大佐の命令で、時間帯は以前のまま、料金は以下のように減額された。
兵卒 10:00~15:00 料金 1円50銭
下士官 15:00~17:00 料金 2円
将校 21:00~23:59 料金 5円
将校 23:59~朝 料金 10円
“The house was controlled by 114 Infantry Regiment, Captain NAGASUE of regimental headquarters being the liaison officer in charge. Usually two men of regimental headquarters were detailed to the house for the purpose of identification of those frequenting the brothel, although men of other regiments were permitted to visit the brothel if they happened to be in a party of 114 Infantry Regiment men. A military policeman was also on patrol duty at the house. The daily attendance at prisoner of war's house was 80 to 90 noncommissioned officers and men and 10 to 15 officers.
この慰安所は、歩兵第114連隊が管理しており、連隊司令部の永末大尉が連絡将校の任に就いた。通常、売春宿を頻繁に訪れる者を特定する目的で、連隊司令部より2名が慰安所に派遣されていた、とは言っても、歩兵第114連隊のグループに他の連隊の兵卒がいた場合、その兵卒は売春宿を訪れることは許可されていた。また、憲兵1名も慰安所の巡回任務に就いていた。捕虜の慰安所における1日あたりの来所者数は、下士官および兵卒が80~90名、将校が10~15名であった。
“In the brothels, liquors (local variety) were sold freely to the men, but the military police personnel took care that there was no excessive drunkenness or quarrels. If in spite of this control a man drank too much, the military policeman usually took him out of the house. Occasionally quarrels also broke out and were similarly suppressed.
この慰安所では、酒類(地元産)は制限なしに利用者に販売されていたが、憲兵が過度の酔っ払いや喧嘩がないよう目を配っていた。この取締りにも関わらず、飲み過ぎる者が出た場合、憲兵はその者を慰安所からつまみ出すことが常であった。喧嘩も起こることもあったが、同様に鎮圧された。
“In MAYMYO similar regulations were in force, but owing to the large number of units stationed there, some of the houses had definite scheduled days for specific units. For example, a house of Japanese girls, the DAI ICHI FURUSA, had the following schedule:--
Sunday :-- 18 Division Headquarters Staff
Monday :-- 18 Division Cavalry Regiment
Tuesday :-- 18 Engineer Regiment
Wednesday :-- Day-time medical inspection then free. Evenings, officers only
Thursday :-- 18 Division Medical Unit
Friday :-- 18 Maintenance Artillery Regiment
Saturday :-- 18 Division Transport Regiment
メイミョーでも、同じような規則が実施されていたが、多くの部隊が駐留していたため、部隊ごとに日を決めていた慰安所もあった。例えば、日本人女性の慰安所、ダイイチ フルサのスケジュールは以下の通りであった。
日曜日 第18師団 司令部スタッフ
月曜日 第18師団 騎兵連隊
火曜日 第18師団 工兵連隊
水曜日 昼間-検査、後自由時間 夜間-将校のみ
木曜日 第18師団 衛生隊
金曜日 第18師団 山砲兵連隊
土曜日 第18師団 輜重兵連隊
“Another brothel, the SUIKO EN, was reserved for officers only.
もうひとつの日本人女性の売春宿、スイコエンは将校専用であった。
“There was a strict order for the use of contraceptives; so that according to prisoner of war, cases of venereal diseases were due only to the carelessness of the solders themselves. During the one and one-half years prisoner of war was running
the house in MYITKYINA, there were only six cases of venereal disease, who were sent to the Medical Officer of 2 Field Hospital, 18 Division for treatment. There were some cases of venereal disease among the soldiers of 114 Infantry Regiment, but prisoner of war never had any trouble with regimental headquarters on this score.
避妊具の使用については厳重な命令があった。そのため、捕虜の言によれば、性病は兵士自身の不注意によるもののみであった。一年半に渡り、捕虜はミッチナで慰安所を経営していたが、性病は6例しかなく、患者は、治療のため、第18軍の第2野戦病院の医療将校のもとに送られた。歩兵第114連隊の兵士の中にも性病は数例みられたが、この点に関して捕虜と連隊司令部との間にいかなる問題も起きなかった。
“During their visits to the brothels, troops rarely discussed military subjects, preferring to escape from their normal military surroundings. Prisoner of war said he never had a chance to overhear any interesting military “secrets”, and considered this was due to the presence of the military police, and that the men were afraid to talk freely, even if they had anything to say. The usual subjects of complaint among the men were criticisms of their officers, lack of supplies and homesickness.
売春宿にいる間、兵士たちは軍隊について話をすることは稀で、自分たちが置かれている日々の軍隊生活からむしろ逃避したいようであった。捕虜は、興味を引くような軍事機密を偶然耳にすることはなかった供述し、それは憲兵の存在によるものだと考えている。また、兵士たちはたとえ言うべきことがあったとしても、自由に話すことを恐れているとも供述している。兵士たちの間でよく口にのぼる愚痴の内容はは、将校に対する批判、補給物資の不足、それに、郷愁の想いであった。
“The girls had seen some Allied propaganda leaflets but had not read them, except that one girl remembered one about the hopeless situation in MYITKYINA, which at the time she did not believe. They had not heard any Forward Broadcasts, but remembered the men openly discussing a ‘radio broadcast’.
女性たちは連合国側のプロパガンダ・ビラを幾枚かは見た事はあるが、読んだことはない。ただし、ある女性はミッチナの絶望的な状況についてのビラは覚えていたが、彼女は、当時、その内容を信じられなかった。女性たちはForward Broadcastsも一度も聞いたことはなかったが、兵士たちがある「ラジオ放送」についておおっぴらに話し合っていたことは覚えていた。
“On 31 July, about midnight a party of 63 girls from the three brothels in MYITKYINA, and the brothel owners, etc., began their evacuation from MYITKYINA. The girls wore dark green Army clothing on top of their civilian clothes. They crossed the IRRAWADDY in ten small boats. The majority of the remaining troops had already departed from MYITKYINA, but the sick and wounded were left behind. The girls remarked on this point. ‘ It was no use to get them across, because once across these
soldiers couldn’t walk. It was better to float them down the river with the hope that they might get through.’ They landed north of Waingmaw where they remained in the jungle until 4 August. The party then began to trek in the wake of the retreating troops. On 7 August, they became involved in a skirmish and in the confusion the party split up.
7月31日、真夜中ごろ、ミッチナにある3軒の売春宿から63名の女性たち、売春宿の経営者たちなどから成る一群が、ミッチナからの非難を開始した。女性たちは、民間人の服の上に深緑色の陸軍の衣服を羽織っていた。一群は、小船10艘でイマラジ河を渡った。残っていた軍隊の大部分はすでにミッチナから退去していたが、傷病兵たちは置き去りにされていた。この点について女性たちは次のように言っている。「傷病兵に川を渡らせても無駄でした。渡れたとしても歩くことができなかったんですから。生き残るかもしれないという望みを託して、傷病兵を川に流したほうがマシだった。」 一群はワイモウの北に着岸し、8月4日までジャングルの中に留まっていたが、その後、撤退した軍隊の跡を追って何とか歩き始めた。8月7日、一群は小戦闘に巻き込まれ、混乱の中、バラバラになってしまった。
“The 20 Chinese girls remained behind in the jungle, and gave themselves up to Chinese troops. One party of about 30 Korean girls followed on in the wake of the Japanese troops, and were seen by another prisoner of war on 19 August, a small disconsolate group still following on. Prisoner of war’s party took shelter in an abandoned native house where they remained for two days while prisoner of war tried to construct a raft: with them was a wounded Japanese soldier. On 10 August, the house was surrounded by a number of Kachins under the command of an English officer, and they were captured. Of the original party of 63 girls, four had died during the journey and two had been shot, mistaken for Japanese soldiers.”
{SEATIC Interrogation Bulletin No. 2, dated 30 November 1944, pages 10-13}
中国人女性20名はジャングルに留まり、その後中国軍に投降した。30名ほどから成る朝鮮人女性の一群は、日本軍の跡を追い続けた。8月19日には、絶望に打ちひしがれた少集団が依然として跡を追い続けているのを別の捕虜が目撃している。捕虜の一群は現地住民がうち捨てた家に避難し、そこに2日間とどまった。その間に、捕虜はいかだを組もうとした。また、日本軍傷病兵が1名一緒にいた。8月10日、その家は、イギリス人将校指揮下の多数のカチン族に取り囲まれ、一群は捕獲された。もとの女性63名の一群のうち、移動中に4名が死亡し、2名が日本軍兵士と誤認されて射殺された。
(略)
(2) Extract from letter written by prisoner of war, a well-educated man of 23 years, nominally a sergeant wireless operator, who had spent the greater part of five years in service either in the cookhouse or under training:
“Brothers-in-arms
“While the fighting was still going on at MYITKYINA, Colonel MARUYAMA was having a good time with the comfort girls in the shelter-trench almost every day. Later he arranged that the girls should cross the river ahead of the wounded soldiers.
This is the truth.”
{Source available on request}
(2) 捕虜(教養のある23歳男性、公称は通信軍曹、5年間の大半を調理場と訓練に費やした。)の手紙から抜粋
「戦友たちへ
ミッチナではいまだ戦闘が続いていたというのに、丸山大佐は避難豪でほぼ毎日、慰安婦たちといちゃついていた。
その後、丸山大佐は傷病兵より先に慰安婦たちが渡河するよう段取りしたのだ。
これは嘘ではない。」
(引用終わり)
<関連情報>
第18師団歩兵第114連隊長、丸山房安大佐について
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0604/060413-9.html
(一部抜粋)
慰安所に居続けの絶倫ぶりで多くの娼婦が悲鳴を上げた、と評判の好き者である。占領地ミッチナー (戦中の呼び名はミートキーナ) が陥落するとき 「軍旗を死守するため戦線脱出」 という大義名分で取り巻き幹部を引き連れ、連隊と慰安所の娼婦たちを置き去りのまま敵前逃亡した。
漫画のような経緯から捕虜の尋問調書が35通も作成され、アメリカ政府戦時情報局 (OWI:Office of War Information) の手でアジア全土に通達され、さらに米国公文書館に保存されている。
They were those of Col. Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina. and Maj.Gen.Mizukami,
ミッチナーの駐屯軍は丸山大佐と水上少将に指揮されていました。
Eventually four of these units reached the Myitkyina. They were, Kyoei, Kinsui, Bakushinro, and Momoya.
結局、ミッチナーにはキョウエイ、キンスイ、バクシンロウ、モモヤの4軒の慰安所が整備されました。
The Kyoei house was called the ”Maruyama Club”,
その中のキョウエイ楼は丸山倶楽部と呼ばれました。
The Colonel was a constant habitue of the houses while the General was never known to have visited them.
大佐は慰安所の常連でしたが、将軍が訪れることはありませんでした。
(以下略)
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http://www.awf.or.jp/program/index.html
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第5巻p.177-179。
*日本語簡訳はp.113-115(いずれもAcrobat Readerのページ表示)
ATIS Research Reports No. 120 Amenities in the Japanese Armed Force, Nov. 15, 1945,
連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 1945年11月15日
(引用開始)
b. BURMA
b. ビルマ
(1) A prisoner of war, a civilian brothel owner captured with his wife and twenty army prostitutes near WAINGMAW on 10 August, 1944 stated:
(1) 捕虜(1944年8月10日ワイモウ付近で、その妻および従軍売春婦20名とともに捕獲された一般市民の売春宿経営者)の供述:
“Prisoner of war, his wife and sister-in-law had made some money as restaurant keepers in KEIJO, KOREA, but their trade declining. They looked for an opportunity to make more money and applied to Army Headquarters in KEIJO for permission to take “comfort girls” from KOREA to BURMA. According to prisoner of war, the suggestion originated from Army Headquarters and was passed to a number of similar Japanese ‘business men’ in KOREA.
捕虜、その妻、および義理の姉妹は、朝鮮の京城にて食堂経営者としてそれなりに稼いでいたが、客足は減ってきていた。彼らはより多く稼ぐ機会を探していたので、「慰安婦」を京城からビルマへ連れて行く許可を京城の陸軍司令部に申請した。捕虜によると、その示唆は、もともと陸軍司令部から出たもので、京城にいる捕虜と同じような多数の日本人「実業家」たちに伝えられていた。
“Prisoner of war purchased 22 Korean girls, paying their families from 300 to 1000 yen according to the personality, looks, and age of the girl. These 22 girls were of ages from 19 to 31. They became the sole property of prisoner of war and the Army made no profit from them. Headquarters, Korean Army gave him a letter addressed to all military headquarters of the Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, ransport, rations, medical attention, etc.
捕虜は朝鮮人女性22名を購入し、女性の性格、容姿、年齢に応じて300~1000円を彼女の家族に支払った。これら22名の女性の年齢は19~31歳であった。女性たちは捕虜の占有財産となっていたので、陸軍は彼女たちから利益を得なかった。朝鮮軍司令部は、日本陸軍の全ての軍司令部宛ての書簡を捕虜に与え、移送、食糧、医療など、捕虜が必要とした場合の援助は全て提供するよう要請した。
“Leaving his sister-in-law to carry on the restaurant, prisoners of war and his wife, with their 22 girls, embarked at FUSAN on 10 July 1942 in a group of 703 girls, all Korean, and some 90 Japanese men and women, all of them of the same base sort as himself. They sailed on a 4000 ton passenger ship in a convoy of seven ships. Free passage tickets were provided by Army headquarters, but prisoner of war paid for all meals during the voyage. They called at FORMOSA, where 22 other girls bound for SINGAPORE were taken on board, and at SINGAPORE they transferred to another ship, arriving at RANGOON on 20 August 1942.
食堂を続けるために義理の姉妹を残して、捕虜とその妻は、22名の女性を連れて、女性703名(全員が朝鮮人)および日本人男女90名程度(全員が捕虜と同じようないかがわしい者たち)からなる一行で、1942年7月11日に釜山を出航した。7隻からなる船団の中で、一行は4000トンの旅客船に搭乗して航行した。陸軍司令部からは無料乗船券が提供されたが、航海中の食事は捕虜が全額支払った。台湾に寄港した際、シンガポールへ向かう女性22名が新たに乗船した。その後、シンガポールに寄港した際に、一行は別の船に乗り換え、1942年8月20日にラングーンに到着した。
“At RANGOON they were divided into groups of 20 to 30 girls in each and dispersed to various parts of BURMA, each group being attached to various regiments, units of formation, so that each had its own brothel (s).
ラングーンで、一行は20~30名ずつのグループに分けられ、各グループは異なった連隊、部隊、もしくは中隊に配属され、ビルマ各地へ分散して行ったため、各グループが独自の売春宿を持つようになった。
“Prisoner of war’s group was attached to 114 Infantry Regiment. They spent some months at GOUNGOO, MEIKTILA, and at MAYMYO, following their trade, and then arrived at MYITKYINA (about January 1943). There were already two brothels established in MYITKYINA, so altogether there were three brothels with 63 girls in all: prisoner of war’s house, known as KYOEI, with 22 Korean girls; the KINSUI house with 20 Korean girls; and the MOMOYA house with 21 Chinese girls, who had been purchased from CANTON on the same conditions as the Koreans. There were Japanese girls in houses in the rear areas, as for example at MAYMYO where they formed two of the eight houses there, but none in the forward areas.
捕虜のグループは歩兵第114連隊に配属され、客に追随して、タウングー、メイクテーラ、およびメイミョーで数ヶ月を過ごした後、(1943年1月ごろ)ミッチナに到着した。すでにミッチナには売春宿2軒が設置されていたので、売春宿は3軒、女性は総計63名ということになった。内訳は、捕虜の売春宿であったキョウエイが朝鮮人女性22名、キンスイが朝鮮人女性20名、そしてモモヤが中国人女性21名であった。この中国人女性たちは、ここの韓国人女性たちと同一条件で広東で購入された。後方地域には慰安所に日本人女性がいたが(例:メイミョーでは8軒の慰安所のうち2軒が日本人女性で成り立っていた。)、前線地域には日本人女性はいなかった。
“Every “comfort girl” was employed on the following contract conditions. She received fifty percent of her own gross taking and was provided with free passage, free food and free medical treatment. The passage and medical treatment were provided by the Army authorities, the food was purchased by the brothel owner with the assistance of the Army supply depots.
The owners made other profits by selling clothing, necessities and luxuries to the girls at exorbitant charges. When a girl is able to repay the sum of money paid to her family, plus interest, she should be provided with a free return passage to KOREA, and then considered free. But owning to war conditions, no one of prisoner of war’s group had so far been allowed to leave; although in June 1943, 15 Army Headquarters had arranged to return home those girls who were free from debt, and one girl who fulfilled these conditions and wished to return was easily persuaded to remain.
「慰安婦」は全員、次のような契約条件で雇用されていた。慰安婦は自身の総売上の50%を受け取り、無料の通行、無料の食事、および無料の治療が与えられる。通行と治療は陸軍当局が提供し、食糧は、陸軍補給部隊の支援を受け、売春宿経営者が購入する。経営者たちは、衣類、生活必需品、および贅沢品を女性たちに法外な値段で売り、そこからも利益を得ていた。女性が家族にたいして支払われた合計金額とその利子を返済したときは、朝鮮までの無料帰国通行券が与えられ、その後、自由あると認められることになっていた。しかし、戦況のために、捕虜のグループでは、これまでに、帰国を許可された者はいなかった。もっとも、1943年に、第15師団司令部が借金のない女性を帰郷させるべく手配し、これらの条件を満たして帰国を希望した女性が1名いたが、留まるよう即座に説得された。
“In prisoner of war’s house, the maximum gross takings of a girl were around 1500 yen per month, the minimum around 300 yen per month, or by rule of the house, the girl had to pay to the brothel owner a minimum of 150 yen per month.
捕虜の慰安所では、女性の最高総売上は1ヶ月あたり1500円前後、最低総売上は1ヶ月あたり300円前後であった、もしくは、この慰安所の規定により、女性は最低でも1ヶ月あたり150円を慰安所の経営者に支払わなくてはならなかった。
“The scale of charges and time-table was fixed by instructions from the regiment, the time-table being so contrived that officers, noncommissioned officers and men would not meet each other at the same time. The schedule was strictly adhered to: and noncommissioned officers and men were supposed to visit the brothel only once weekly, officers as often as they wished. Payment was made on a ticket system, the girl retaining the ticket, which was of cardboard about two inches square, bearing the name of the house, the regimental seal, and the price of the ticket. In prisoner of war's house the schedule was originally laid down as follows:
Soldiers 1000-1500 hours charge 1.50 yen
Noncommissioned officers
1500-1700 hours charge 3 yen
Officers 2100-2359 hours charge 5 yen
Officers 2359 morning charge 20 yen
料金と時間帯は連隊からの指示によって決定されていたが、時間帯は非常に巧妙に練られており、将校、下士官、および兵卒が、同じ時間にお互いに顔を合わせることはなかった。スケジュールは厳格に順守されていた。下士官と兵卒は週1回しか売春宿に行くことができないものとされた一方で、将校は望むだけ行くことができた。支払いはチケット方式であり、女性がチケットを持っていた。チケットは2インチ四方の厚紙で、慰安所の名前、師団の印、およびチケットの料金が書かれていた。捕虜の慰安所では、当初、以下のようなスケジュールが定められていた。
兵卒 10:00~15:00 料金 1円50銭
下士官 15:00~17:00 料金 3円
将校 21:00~23:59 料金 5円
将校 23:59~朝 料金 20円
“But on orders of Colonel MARUYAMA, the charge were later reduced as follows, the time-table remaining as before
Soldiers 1.50 yen
Noncommissioned officers 2 yen
Officers 5 yen
Officers midnight morning 10 yen
しかし、後に、丸山大佐の命令で、時間帯は以前のまま、料金は以下のように減額された。
兵卒 10:00~15:00 料金 1円50銭
下士官 15:00~17:00 料金 2円
将校 21:00~23:59 料金 5円
将校 23:59~朝 料金 10円
“The house was controlled by 114 Infantry Regiment, Captain NAGASUE of regimental headquarters being the liaison officer in charge. Usually two men of regimental headquarters were detailed to the house for the purpose of identification of those frequenting the brothel, although men of other regiments were permitted to visit the brothel if they happened to be in a party of 114 Infantry Regiment men. A military policeman was also on patrol duty at the house. The daily attendance at prisoner of war's house was 80 to 90 noncommissioned officers and men and 10 to 15 officers.
この慰安所は、歩兵第114連隊が管理しており、連隊司令部の永末大尉が連絡将校の任に就いた。通常、売春宿を頻繁に訪れる者を特定する目的で、連隊司令部より2名が慰安所に派遣されていた、とは言っても、歩兵第114連隊のグループに他の連隊の兵卒がいた場合、その兵卒は売春宿を訪れることは許可されていた。また、憲兵1名も慰安所の巡回任務に就いていた。捕虜の慰安所における1日あたりの来所者数は、下士官および兵卒が80~90名、将校が10~15名であった。
“In the brothels, liquors (local variety) were sold freely to the men, but the military police personnel took care that there was no excessive drunkenness or quarrels. If in spite of this control a man drank too much, the military policeman usually took him out of the house. Occasionally quarrels also broke out and were similarly suppressed.
この慰安所では、酒類(地元産)は制限なしに利用者に販売されていたが、憲兵が過度の酔っ払いや喧嘩がないよう目を配っていた。この取締りにも関わらず、飲み過ぎる者が出た場合、憲兵はその者を慰安所からつまみ出すことが常であった。喧嘩も起こることもあったが、同様に鎮圧された。
“In MAYMYO similar regulations were in force, but owing to the large number of units stationed there, some of the houses had definite scheduled days for specific units. For example, a house of Japanese girls, the DAI ICHI FURUSA, had the following schedule:--
Sunday :-- 18 Division Headquarters Staff
Monday :-- 18 Division Cavalry Regiment
Tuesday :-- 18 Engineer Regiment
Wednesday :-- Day-time medical inspection then free. Evenings, officers only
Thursday :-- 18 Division Medical Unit
Friday :-- 18 Maintenance Artillery Regiment
Saturday :-- 18 Division Transport Regiment
メイミョーでも、同じような規則が実施されていたが、多くの部隊が駐留していたため、部隊ごとに日を決めていた慰安所もあった。例えば、日本人女性の慰安所、ダイイチ フルサのスケジュールは以下の通りであった。
日曜日 第18師団 司令部スタッフ
月曜日 第18師団 騎兵連隊
火曜日 第18師団 工兵連隊
水曜日 昼間-検査、後自由時間 夜間-将校のみ
木曜日 第18師団 衛生隊
金曜日 第18師団 山砲兵連隊
土曜日 第18師団 輜重兵連隊
“Another brothel, the SUIKO EN, was reserved for officers only.
もうひとつの日本人女性の売春宿、スイコエンは将校専用であった。
“There was a strict order for the use of contraceptives; so that according to prisoner of war, cases of venereal diseases were due only to the carelessness of the solders themselves. During the one and one-half years prisoner of war was running
the house in MYITKYINA, there were only six cases of venereal disease, who were sent to the Medical Officer of 2 Field Hospital, 18 Division for treatment. There were some cases of venereal disease among the soldiers of 114 Infantry Regiment, but prisoner of war never had any trouble with regimental headquarters on this score.
避妊具の使用については厳重な命令があった。そのため、捕虜の言によれば、性病は兵士自身の不注意によるもののみであった。一年半に渡り、捕虜はミッチナで慰安所を経営していたが、性病は6例しかなく、患者は、治療のため、第18軍の第2野戦病院の医療将校のもとに送られた。歩兵第114連隊の兵士の中にも性病は数例みられたが、この点に関して捕虜と連隊司令部との間にいかなる問題も起きなかった。
“During their visits to the brothels, troops rarely discussed military subjects, preferring to escape from their normal military surroundings. Prisoner of war said he never had a chance to overhear any interesting military “secrets”, and considered this was due to the presence of the military police, and that the men were afraid to talk freely, even if they had anything to say. The usual subjects of complaint among the men were criticisms of their officers, lack of supplies and homesickness.
売春宿にいる間、兵士たちは軍隊について話をすることは稀で、自分たちが置かれている日々の軍隊生活からむしろ逃避したいようであった。捕虜は、興味を引くような軍事機密を偶然耳にすることはなかった供述し、それは憲兵の存在によるものだと考えている。また、兵士たちはたとえ言うべきことがあったとしても、自由に話すことを恐れているとも供述している。兵士たちの間でよく口にのぼる愚痴の内容はは、将校に対する批判、補給物資の不足、それに、郷愁の想いであった。
“The girls had seen some Allied propaganda leaflets but had not read them, except that one girl remembered one about the hopeless situation in MYITKYINA, which at the time she did not believe. They had not heard any Forward Broadcasts, but remembered the men openly discussing a ‘radio broadcast’.
女性たちは連合国側のプロパガンダ・ビラを幾枚かは見た事はあるが、読んだことはない。ただし、ある女性はミッチナの絶望的な状況についてのビラは覚えていたが、彼女は、当時、その内容を信じられなかった。女性たちはForward Broadcastsも一度も聞いたことはなかったが、兵士たちがある「ラジオ放送」についておおっぴらに話し合っていたことは覚えていた。
“On 31 July, about midnight a party of 63 girls from the three brothels in MYITKYINA, and the brothel owners, etc., began their evacuation from MYITKYINA. The girls wore dark green Army clothing on top of their civilian clothes. They crossed the IRRAWADDY in ten small boats. The majority of the remaining troops had already departed from MYITKYINA, but the sick and wounded were left behind. The girls remarked on this point. ‘ It was no use to get them across, because once across these
soldiers couldn’t walk. It was better to float them down the river with the hope that they might get through.’ They landed north of Waingmaw where they remained in the jungle until 4 August. The party then began to trek in the wake of the retreating troops. On 7 August, they became involved in a skirmish and in the confusion the party split up.
7月31日、真夜中ごろ、ミッチナにある3軒の売春宿から63名の女性たち、売春宿の経営者たちなどから成る一群が、ミッチナからの非難を開始した。女性たちは、民間人の服の上に深緑色の陸軍の衣服を羽織っていた。一群は、小船10艘でイマラジ河を渡った。残っていた軍隊の大部分はすでにミッチナから退去していたが、傷病兵たちは置き去りにされていた。この点について女性たちは次のように言っている。「傷病兵に川を渡らせても無駄でした。渡れたとしても歩くことができなかったんですから。生き残るかもしれないという望みを託して、傷病兵を川に流したほうがマシだった。」 一群はワイモウの北に着岸し、8月4日までジャングルの中に留まっていたが、その後、撤退した軍隊の跡を追って何とか歩き始めた。8月7日、一群は小戦闘に巻き込まれ、混乱の中、バラバラになってしまった。
“The 20 Chinese girls remained behind in the jungle, and gave themselves up to Chinese troops. One party of about 30 Korean girls followed on in the wake of the Japanese troops, and were seen by another prisoner of war on 19 August, a small disconsolate group still following on. Prisoner of war’s party took shelter in an abandoned native house where they remained for two days while prisoner of war tried to construct a raft: with them was a wounded Japanese soldier. On 10 August, the house was surrounded by a number of Kachins under the command of an English officer, and they were captured. Of the original party of 63 girls, four had died during the journey and two had been shot, mistaken for Japanese soldiers.”
{SEATIC Interrogation Bulletin No. 2, dated 30 November 1944, pages 10-13}
中国人女性20名はジャングルに留まり、その後中国軍に投降した。30名ほどから成る朝鮮人女性の一群は、日本軍の跡を追い続けた。8月19日には、絶望に打ちひしがれた少集団が依然として跡を追い続けているのを別の捕虜が目撃している。捕虜の一群は現地住民がうち捨てた家に避難し、そこに2日間とどまった。その間に、捕虜はいかだを組もうとした。また、日本軍傷病兵が1名一緒にいた。8月10日、その家は、イギリス人将校指揮下の多数のカチン族に取り囲まれ、一群は捕獲された。もとの女性63名の一群のうち、移動中に4名が死亡し、2名が日本軍兵士と誤認されて射殺された。
(略)
(2) Extract from letter written by prisoner of war, a well-educated man of 23 years, nominally a sergeant wireless operator, who had spent the greater part of five years in service either in the cookhouse or under training:
“Brothers-in-arms
“While the fighting was still going on at MYITKYINA, Colonel MARUYAMA was having a good time with the comfort girls in the shelter-trench almost every day. Later he arranged that the girls should cross the river ahead of the wounded soldiers.
This is the truth.”
{Source available on request}
(2) 捕虜(教養のある23歳男性、公称は通信軍曹、5年間の大半を調理場と訓練に費やした。)の手紙から抜粋
「戦友たちへ
ミッチナではいまだ戦闘が続いていたというのに、丸山大佐は避難豪でほぼ毎日、慰安婦たちといちゃついていた。
その後、丸山大佐は傷病兵より先に慰安婦たちが渡河するよう段取りしたのだ。
これは嘘ではない。」
(引用終わり)
<関連情報>
第18師団歩兵第114連隊長、丸山房安大佐について
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0604/060413-9.html
(一部抜粋)
慰安所に居続けの絶倫ぶりで多くの娼婦が悲鳴を上げた、と評判の好き者である。占領地ミッチナー (戦中の呼び名はミートキーナ) が陥落するとき 「軍旗を死守するため戦線脱出」 という大義名分で取り巻き幹部を引き連れ、連隊と慰安所の娼婦たちを置き去りのまま敵前逃亡した。
漫画のような経緯から捕虜の尋問調書が35通も作成され、アメリカ政府戦時情報局 (OWI:Office of War Information) の手でアジア全土に通達され、さらに米国公文書館に保存されている。
They were those of Col. Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina. and Maj.Gen.Mizukami,
ミッチナーの駐屯軍は丸山大佐と水上少将に指揮されていました。
Eventually four of these units reached the Myitkyina. They were, Kyoei, Kinsui, Bakushinro, and Momoya.
結局、ミッチナーにはキョウエイ、キンスイ、バクシンロウ、モモヤの4軒の慰安所が整備されました。
The Kyoei house was called the ”Maruyama Club”,
その中のキョウエイ楼は丸山倶楽部と呼ばれました。
The Colonel was a constant habitue of the houses while the General was never known to have visited them.
大佐は慰安所の常連でしたが、将軍が訪れることはありませんでした。
(以下略)
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“靖国DVD”で授業 青年会議所作製 文科省が採用
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-18/2007051801_02_0.html
(2007年5月18日 赤旗 一部抜粋)
日本の侵略戦争を「自衛、アジア解放のための戦争」だったと肯定・美化するアニメーションDVDを教材にした教育事業が、文部科学省の研究委託事業「新教育システム開発プログラム」に採用され、全国で実行されようとしていることが十七日、明らかになりました。衆院教育再生特別委員会で日本共産党の石井郁子議員が取り上げたもの。
(中略)
問題の教材は、日本青年会議所が作製した「誇り」と題するDVD。青年会議所は、採用されたことを大宣伝し、全国の学校でDVDを使った教育事業を行おうとしています。すでに二月から六月にかけ、全国の学校など九十三カ所で実施または予定されています。
DVDは、戦死した青年が現代に現れ、女子高生を靖国神社に誘う内容。日本の侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び、「愛する自分の国を守りたい、自衛のためだった」と教えています。日本の植民地支配については、「道路を整備し学校を設置した」というだけで、侵略・加害の歴史にはふれていません。
石井氏の追及に、安倍晋三首相は「まだ見ていないが、日本共産党の立場から評価しているのではないか」などと問題をすりかえようとしました。石井氏は「村山談話とまったく違う内容を学校で普及することは政府の立場とも相いれない」と指摘。伊吹文明文科相は採用した責任にはふれなかったものの、「私が校長なら使わない」と答えました。
石井氏は「安倍政権が押しつけようとしているのは、戦前の価値観そのものだ」と批判しました。
(以上 全文はソース)
このニュースは、昨日の衆議院での石井郁子さんの質疑で初めて知ったんですが、文部科学省の委託事業である「新教育システム開発プログラム」に採用された、近現代史教育プログラムの教材(DVD)の内容が、あまりにひどいんですが。
↓これ

[PDF] DVD「誇り~伝えようこの日本のあゆみ」
「美しい国」「国を愛する心」「誇り」という言葉がやたらと出てくるので、読んでるだけで十分気持ち悪くなれます。
ざっと読んでみたんですが、内容のほうはサピオや正論などの捏造雑誌に書いてあることそのままで、ABCD 包囲網に より 資源を止められたのが日米開戦の理由のようにミスリードしてますが、実際はみずからABCD包囲網に突っ込んでいっただけだし、経済封鎖が自衛戦争の理由にもなってないし、他にも、白人と同じようにアジアの国々を植民地化しただけなのに、アジアの人々を白人から解放しようとしただの 、無能な重大戦争犯罪人を裁いた東京裁判を、自虐モード全快で否定したりだの、全編において都合の悪いことは一切スルーを決め込んでます。
この洗脳DVDは「日本青年会議所」(JCI)が2006年度に作成し、組織を使い全国の中学校で2007年度2月から上映しているそうです。
たしか、学校での近代史の授業時間が少ないことを問題にしてる方々がいましたが、一宗教法人でしかない靖国カルト教の洗脳に、貴重な時間を使うことは、少ない授業時間をさらにムダにしてるだけだと思います。
教育再生の名の下、このような地域の教育介入だとか、親学なんかの実態を見てみると、安倍晋三は日本の北朝鮮化教育プログラムを推し進めてるだけにしか見えないんですが。
<ビデオライブラリ>
平成19年5月17日 衆議院 教育再生特別委員会での質疑
石井郁子(日本共産党) 開始時間16時 00分 所要時間20分
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm
「社団法人 日本青年会議所(JCI)」のホームページ
2007年度協働運動が文部科学省「新教育システム開発プログラム」研究事業に採択
http://www07.jaycee.or.jp/2007/strength/revival/modules/tinyd0/index.php?id=16
((((((;゚Д゚)))))) ガクガクブルブル
<関連ブログ>
「Like a rolling bean (new) 出来事録」より 日本青年会議所と教育「再生」
「土佐高知の雑記帳」より 青年会議所による「洗脳セミナー」
<関連ニュース>
侵略正当化へ“洗脳” 文科省採用の“靖国DVD”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-18/2007051803_01_0.html
(2007年5月18日 赤旗 一部抜粋)
DVDが語る主な内容
DVDアニメ「誇り」は、過去の戦争をめぐって高校生「こころ」が、過去から来た青年「雄太」から話を聞くかたちで進行します。2人は靖国神社へも出かけます。雄太が語る戦争の歴史とは?。
【日露戦争】
「領土拡大戦略として南下してきたロシアと、そのロシアから自分たちの国を守りたかった日本。その後、それぞれの思惑とは別に周囲を巻き込みながら、その後の大東亜戦争にまで発展していくんだ」
【日中戦争】
「ロシアは、中国大陸における覇権争いをしていた国民党や共産党をたくみに操り、さまざまな謀略を日本にしかけはじめた。そうとは知らない日本は中国大陸で抜けるに抜け出せない、泥沼のような戦いを繰り広げていくことになっていく」
【対米戦争】
「日本対アメリカを含む連合国軍との戦いを、当時、日本では東アジアの白人からの解放を大義目的にそう(大東亜戦争と)呼んでいたんだ」
「日本は亡国の道を歩むか、戦争に突入するか?二つに一つの決断を迫られ、アメリカをはじめとする連合国軍との戦争という苦渋の決断を強いられた」
【東京裁判・GHQ(連合国軍総司令部)】
「東京裁判は勝った国が負けた国を一方的に裁く復しゅう裁判だった」
「(GHQは)戦争で残虐行為を働いた凶悪な日本兵というイメージを日本国民に植え付け、洗脳していった」
靖国神社で、雄太は「愛する自分の国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい?日本の戦いには、いつも、その気持ちが根底にあったような気がする」と語ります。
雄太の話を聞いた、こころはつぶやきます。
「私が今ここにいるのは、過去に日本という礎を築いてくれたたくさんの人たちがいたから…。そして大事なことは、正しい事実をきちんと知ること」
(以下略 全文はソース)
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(2007年5月18日 赤旗 一部抜粋)
日本の侵略戦争を「自衛、アジア解放のための戦争」だったと肯定・美化するアニメーションDVDを教材にした教育事業が、文部科学省の研究委託事業「新教育システム開発プログラム」に採用され、全国で実行されようとしていることが十七日、明らかになりました。衆院教育再生特別委員会で日本共産党の石井郁子議員が取り上げたもの。
(中略)
問題の教材は、日本青年会議所が作製した「誇り」と題するDVD。青年会議所は、採用されたことを大宣伝し、全国の学校でDVDを使った教育事業を行おうとしています。すでに二月から六月にかけ、全国の学校など九十三カ所で実施または予定されています。
DVDは、戦死した青年が現代に現れ、女子高生を靖国神社に誘う内容。日本の侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び、「愛する自分の国を守りたい、自衛のためだった」と教えています。日本の植民地支配については、「道路を整備し学校を設置した」というだけで、侵略・加害の歴史にはふれていません。
石井氏の追及に、安倍晋三首相は「まだ見ていないが、日本共産党の立場から評価しているのではないか」などと問題をすりかえようとしました。石井氏は「村山談話とまったく違う内容を学校で普及することは政府の立場とも相いれない」と指摘。伊吹文明文科相は採用した責任にはふれなかったものの、「私が校長なら使わない」と答えました。
石井氏は「安倍政権が押しつけようとしているのは、戦前の価値観そのものだ」と批判しました。
(以上 全文はソース)
このニュースは、昨日の衆議院での石井郁子さんの質疑で初めて知ったんですが、文部科学省の委託事業である「新教育システム開発プログラム」に採用された、近現代史教育プログラムの教材(DVD)の内容が、あまりにひどいんですが。
↓これ

[PDF] DVD「誇り~伝えようこの日本のあゆみ」
「美しい国」「国を愛する心」「誇り」という言葉がやたらと出てくるので、読んでるだけで十分気持ち悪くなれます。
ざっと読んでみたんですが、内容のほうはサピオや正論などの捏造雑誌に書いてあることそのままで、ABCD 包囲網に より 資源を止められたのが日米開戦の理由のようにミスリードしてますが、実際はみずからABCD包囲網に突っ込んでいっただけだし、経済封鎖が自衛戦争の理由にもなってないし、他にも、白人と同じようにアジアの国々を植民地化しただけなのに、アジアの人々を白人から解放しようとしただの 、無能な重大戦争犯罪人を裁いた東京裁判を、自虐モード全快で否定したりだの、全編において都合の悪いことは一切スルーを決め込んでます。
この洗脳DVDは「日本青年会議所」(JCI)が2006年度に作成し、組織を使い全国の中学校で2007年度2月から上映しているそうです。
たしか、学校での近代史の授業時間が少ないことを問題にしてる方々がいましたが、一宗教法人でしかない靖国カルト教の洗脳に、貴重な時間を使うことは、少ない授業時間をさらにムダにしてるだけだと思います。
教育再生の名の下、このような地域の教育介入だとか、親学なんかの実態を見てみると、安倍晋三は日本の北朝鮮化教育プログラムを推し進めてるだけにしか見えないんですが。
<ビデオライブラリ>
平成19年5月17日 衆議院 教育再生特別委員会での質疑
石井郁子(日本共産党) 開始時間16時 00分 所要時間20分
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm
「社団法人 日本青年会議所(JCI)」のホームページ
2007年度協働運動が文部科学省「新教育システム開発プログラム」研究事業に採択
http://www07.jaycee.or.jp/2007/strength/revival/modules/tinyd0/index.php?id=16
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「Like a rolling bean (new) 出来事録」より 日本青年会議所と教育「再生」
「土佐高知の雑記帳」より 青年会議所による「洗脳セミナー」
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侵略正当化へ“洗脳” 文科省採用の“靖国DVD”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-18/2007051803_01_0.html
(2007年5月18日 赤旗 一部抜粋)
DVDが語る主な内容
DVDアニメ「誇り」は、過去の戦争をめぐって高校生「こころ」が、過去から来た青年「雄太」から話を聞くかたちで進行します。2人は靖国神社へも出かけます。雄太が語る戦争の歴史とは?。
【日露戦争】
「領土拡大戦略として南下してきたロシアと、そのロシアから自分たちの国を守りたかった日本。その後、それぞれの思惑とは別に周囲を巻き込みながら、その後の大東亜戦争にまで発展していくんだ」
【日中戦争】
「ロシアは、中国大陸における覇権争いをしていた国民党や共産党をたくみに操り、さまざまな謀略を日本にしかけはじめた。そうとは知らない日本は中国大陸で抜けるに抜け出せない、泥沼のような戦いを繰り広げていくことになっていく」
【対米戦争】
「日本対アメリカを含む連合国軍との戦いを、当時、日本では東アジアの白人からの解放を大義目的にそう(大東亜戦争と)呼んでいたんだ」
「日本は亡国の道を歩むか、戦争に突入するか?二つに一つの決断を迫られ、アメリカをはじめとする連合国軍との戦争という苦渋の決断を強いられた」
【東京裁判・GHQ(連合国軍総司令部)】
「東京裁判は勝った国が負けた国を一方的に裁く復しゅう裁判だった」
「(GHQは)戦争で残虐行為を働いた凶悪な日本兵というイメージを日本国民に植え付け、洗脳していった」
靖国神社で、雄太は「愛する自分の国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい?日本の戦いには、いつも、その気持ちが根底にあったような気がする」と語ります。
雄太の話を聞いた、こころはつぶやきます。
「私が今ここにいるのは、過去に日本という礎を築いてくれたたくさんの人たちがいたから…。そして大事なことは、正しい事実をきちんと知ること」
(以下略 全文はソース)
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[慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について(2)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-64.html
の続きです
今日、産経さんの方から「古森氏が引用したAPの記事が見つかりました」と連絡があり、原文を自宅にFAXしてもらいました。
1週間もかかりましたが、ちゃんと連絡をくれた◯◯◯さん、ありがとうございました。
▼以下はAPの原文と同じものを検索して見つけ、翻訳したものです。
http://megalodon.jp/?url=http://www.huffingtonpost.com/huff-wires/20070503/na-gen-us-japan-comfort-women&date=20070516204128
(AP通信 5月4日付け 原文と同じ記事)
U.S. lawmaker calls for investigation of post-WWII brothels for U.S. troops in Japan
米国会議員、第二次世界大戦後、日本国内にあった米軍向け売春施設に対する調査を要請
ERICA WERNER | AP | May 3, 2007 08:25 PM EST(米国東部標準時間)
WASHINGTON ? A U.S. lawmaker said Thursday he wants a closer look at reports that American authorities allowed the operation of an official brothel system for GIs occupying Japan in the aftermath of World War II.
ワシントン発 - 第二次世界大戦直後、日本を占領していた米軍向けの公的売春施設制度の運営を、米国当局が許可していたとする報告書を詳細に検討するよう求めていると、木曜日、米国会議員が語った。
Democratic Rep. Mike Honda, sponsor of a resolution urging Japan to apologize formally for coercing thousands of Asian women into sexual slavery as the Imperial Japanese during the war, said he has asked the Congressional Research Service to look into allegations of brothels set up for American soldiers after Japan's surrender in 1945.
民主党のマイク・ホンダ下院議員は、大戦中、何千人ものアジア女性を強制的に日本軍の性の奴隷としたことに対し日本に正式な謝罪を求める決議案の提案者であり、1945年、日本の降伏後に、アメリカ兵向けに設立された売春施設についての真相を調査するよう米国議会調査部(Congressinal Research Service)に要請したと語った。
Honda rejected comparisons between the actions of the Japanese during the war and the U.S. occupation forces. He said the Japanese comfort women system was set up and sanctioned by the Japanese government and armed forces.
ホンダ議員は、戦争中の日本軍の行為と占領米軍との比較は無用だとし、日本の慰安婦制度は日本政府と日本軍が設立し、公認したものであると語った。
"It's different," he said. "This is the military of the imperial government, the imperial military's policy, in capturing, coercing and kidnapping girls and women for the purpose of sexual slavery."
「違いは明らかです。大日本帝国軍は、軍の方策として、少女や女性を性の奴隷とする目的で捕獲し、強制し、拉致したのです。」
Honda said it was important to find out what role the U.S. military played in the postwar system.
ホンダ議員は、戦後の米軍向け売春施設制度に米国軍が果たした役割を解明することが重要だとも語った。
An Associated Press review of historical documents and records shows that American authorities permitted an official brothel system to operate despite internal reports that women were being coerced into prostitution.
AP通信社は、歴史文書と記録を調査し、女性が売春を強制されたという内部報告があるにもかかわらず、アメリカ当局が公的売春施設制度の運営を許可したことを明らかにしている。
Tens of thousands of women were employed to provide cheap sex to American troops until the spring of 1946, when Gen. Douglas MacArthur shut down the system, documents show.
1946年の春にダグラス・マッカーサー将軍がこの制度を中止するまで、何万人も女性が雇用され、アメリカ軍に低料金でセックスを提供していたことも複数の文書によって明らかになった。
There is no clear evidence that non-Japanese comfort women were imported to Japan as part of the program.
この計画の一環として、日本人以外の慰安婦が日本国内に移送されたという明確な証拠はない。
Supporters of Honda's nonbinding resolution want an apology similar to the one the U.S. government gave to Japanese-Americans, including Honda as a child, forced into internment camps during World War II. That apology was approved by the Congress and signed into law by President Ronald Reagan in 1988.
ホンダ議員の決議案は法的拘束力はないが、決議案の指示者たちは、第二次世界大戦中、収容所に強制収容された日系アメリカ人に対してアメリカ政府が行ったような謝罪を求めている。当時、子供であったホンダ議員自身も収容所に強制収容されている。このアメリカ政府の謝罪は、1988年に、議会が承認し、ロナルド・レーガン大統領が署名し、立法化された。
_________
Associated Press writer Foster Klug contributed to this report.
Associated Press 通信記者 Foster Klug 寄稿
(以上)
あれっ?
古森氏がAPから引用したはずの「米軍の軍命令」という記述が、ないんですけど。
明日にでも産経の方に電凸し、注目を集めるためなら捏造もかまわないという古森氏の記事を訂正し、報道の使命をきちんと果たすよう再度お願いしてみますか。
<このブログ意味不明とい方は以下参照>
▼産経・古森義久氏が捏造した記事
占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615
(産経 2007/05/05 一部抜粋)
>AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという…
(中略)
>AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じ…
(以下略 全文はソース)
▼古森義久氏が引用したAPの元記事
AP通信 4月26日付け 原文
http://megalodon.jp/?url=http://liveanddie.client.jp/html/about_japanese_comfort_stations20070425ap.html&date=20070514155838
(翻訳)
http://liveanddie.blog.shinobi.jp/Entry/108/
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↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について(2)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-64.html
の続きです
今日、産経さんの方から「古森氏が引用したAPの記事が見つかりました」と連絡があり、原文を自宅にFAXしてもらいました。
1週間もかかりましたが、ちゃんと連絡をくれた◯◯◯さん、ありがとうございました。
▼以下はAPの原文と同じものを検索して見つけ、翻訳したものです。
http://megalodon.jp/?url=http://www.huffingtonpost.com/huff-wires/20070503/na-gen-us-japan-comfort-women&date=20070516204128
(AP通信 5月4日付け 原文と同じ記事)
U.S. lawmaker calls for investigation of post-WWII brothels for U.S. troops in Japan
米国会議員、第二次世界大戦後、日本国内にあった米軍向け売春施設に対する調査を要請
ERICA WERNER | AP | May 3, 2007 08:25 PM EST(米国東部標準時間)
WASHINGTON ? A U.S. lawmaker said Thursday he wants a closer look at reports that American authorities allowed the operation of an official brothel system for GIs occupying Japan in the aftermath of World War II.
ワシントン発 - 第二次世界大戦直後、日本を占領していた米軍向けの公的売春施設制度の運営を、米国当局が許可していたとする報告書を詳細に検討するよう求めていると、木曜日、米国会議員が語った。
Democratic Rep. Mike Honda, sponsor of a resolution urging Japan to apologize formally for coercing thousands of Asian women into sexual slavery as the Imperial Japanese during the war, said he has asked the Congressional Research Service to look into allegations of brothels set up for American soldiers after Japan's surrender in 1945.
民主党のマイク・ホンダ下院議員は、大戦中、何千人ものアジア女性を強制的に日本軍の性の奴隷としたことに対し日本に正式な謝罪を求める決議案の提案者であり、1945年、日本の降伏後に、アメリカ兵向けに設立された売春施設についての真相を調査するよう米国議会調査部(Congressinal Research Service)に要請したと語った。
Honda rejected comparisons between the actions of the Japanese during the war and the U.S. occupation forces. He said the Japanese comfort women system was set up and sanctioned by the Japanese government and armed forces.
ホンダ議員は、戦争中の日本軍の行為と占領米軍との比較は無用だとし、日本の慰安婦制度は日本政府と日本軍が設立し、公認したものであると語った。
"It's different," he said. "This is the military of the imperial government, the imperial military's policy, in capturing, coercing and kidnapping girls and women for the purpose of sexual slavery."
「違いは明らかです。大日本帝国軍は、軍の方策として、少女や女性を性の奴隷とする目的で捕獲し、強制し、拉致したのです。」
Honda said it was important to find out what role the U.S. military played in the postwar system.
ホンダ議員は、戦後の米軍向け売春施設制度に米国軍が果たした役割を解明することが重要だとも語った。
An Associated Press review of historical documents and records shows that American authorities permitted an official brothel system to operate despite internal reports that women were being coerced into prostitution.
AP通信社は、歴史文書と記録を調査し、女性が売春を強制されたという内部報告があるにもかかわらず、アメリカ当局が公的売春施設制度の運営を許可したことを明らかにしている。
Tens of thousands of women were employed to provide cheap sex to American troops until the spring of 1946, when Gen. Douglas MacArthur shut down the system, documents show.
1946年の春にダグラス・マッカーサー将軍がこの制度を中止するまで、何万人も女性が雇用され、アメリカ軍に低料金でセックスを提供していたことも複数の文書によって明らかになった。
There is no clear evidence that non-Japanese comfort women were imported to Japan as part of the program.
この計画の一環として、日本人以外の慰安婦が日本国内に移送されたという明確な証拠はない。
Supporters of Honda's nonbinding resolution want an apology similar to the one the U.S. government gave to Japanese-Americans, including Honda as a child, forced into internment camps during World War II. That apology was approved by the Congress and signed into law by President Ronald Reagan in 1988.
ホンダ議員の決議案は法的拘束力はないが、決議案の指示者たちは、第二次世界大戦中、収容所に強制収容された日系アメリカ人に対してアメリカ政府が行ったような謝罪を求めている。当時、子供であったホンダ議員自身も収容所に強制収容されている。このアメリカ政府の謝罪は、1988年に、議会が承認し、ロナルド・レーガン大統領が署名し、立法化された。
_________
Associated Press writer Foster Klug contributed to this report.
Associated Press 通信記者 Foster Klug 寄稿
(以上)
あれっ?
古森氏がAPから引用したはずの「米軍の軍命令」という記述が、ないんですけど。
明日にでも産経の方に電凸し、注目を集めるためなら捏造もかまわないという古森氏の記事を訂正し、報道の使命をきちんと果たすよう再度お願いしてみますか。
<このブログ意味不明とい方は以下参照>
▼産経・古森義久氏が捏造した記事
占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615
(産経 2007/05/05 一部抜粋)
>AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという…
(中略)
>AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じ…
(以下略 全文はソース)
▼古森義久氏が引用したAPの元記事
AP通信 4月26日付け 原文
http://megalodon.jp/?url=http://liveanddie.client.jp/html/about_japanese_comfort_stations20070425ap.html&date=20070514155838
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また、産経新聞のとんちんかんなマッチポンプ記事です。
「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/51406/
(産経 05/12 06:12 )
【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して、日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった。報告書は、この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し、現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている。
報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された。「前線地区での日本軍売春宿」と題され、同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている。
この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった。この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し、日米両国の研究者などの間で参照されてきたが、経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった。
報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。
同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。22人の女性は年齢19歳から31歳までで、経営者の占有する資産となった。日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」と記している。
このように報告書では、この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ、経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され、「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている。
報告書によると、この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち、台湾、シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した。女性たちはその後、北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという。(以上)
※ビルマのミッチナ=ミイトキーナ
さすがに、この記事には呆れ果てて、取り上げるのどうしようかと思ったんですが。
この記事にTBしているizaブログの事実誤認には、目に余るものがあり、あるトンデモ系ブログでは「米国議会調査で強制連行の濡れ衣が晴れました」などと、勝手に勝利宣言までしてる方までいました。
頭大丈夫かよ。。。
そもそも、古森氏の紹介した資料ですが、これ新資料でもなんでもなく、日本政府が1992年7月6日、93年8月4日に、それぞれ発表している調査結果で、今までも、小林よしりん、つくる会、産経、正論などが、都合のいい部分だけ抜き出し「金をもらっていたのだから強制ではなく、売春婦だ」と宣伝するのに、さんざん使ってきた米軍資料なんですが。
この人達って、いつもは東京裁判などでの米軍資料の信頼性を批判してませんでしたっけ?
<参考サイト>
ミッチナの慰安所 -- 傲慢漫画家の貧困な想像力
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-mitchina.htm
ミッチナの慰安所業者と「慰安婦」を米軍が取り調べた報告書は、「慰安婦」の待遇が良かった証拠と称して「自由主義史観」派が好んで持ち出す文書です。ここでは小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言』をサンプルとして取り上げますが、彼らがいかに資料中の都合のいい部分だけを取り出して利用しているかがよく分かると思います。ミッチナの慰安所は恐らく数多い慰安所の中でも最も「まし」な部類に属していたでしょうが、同じ報告書を正確に分析するだけで、このミッチナの場合でさえ重大な戦争犯罪/人権蹂躙が行われていたことが判明してます。
アジア女性基金-歴史の教訓とする事業
http://www.awf.or.jp/program/index.html
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』刊行
の第5巻(5.18M)でダウンロードできるPDFファイルに載っています。日本語簡訳はp.113-115、英文はp.177-179です(どちらもAcrobat Readerのページ表示)。最初から最後まで日本政府がまるまる関与、監督してます。
ちなみに、下の写真は同じビルマ戦線のミッチナより更に最前線のラーモ(松山)で保護された慰安婦達である。

弾雨の中を逃げ惑う中でも、日本軍兵士への慰安行為を強いられ、軍人同様に玉砕の身とされようとした、まさに強制された「従軍」慰安婦達であり、古森氏の「まし」な部類の報告例とはあきらかに違うことがわかる。
<この記事を取り上げているブログ>
碧猫さんが「未成年を含む女性をだまして連れてこさせるのを、軍が許可あるいは提案している」と、ツッコミ入れてます。
「13日の水曜日」もしかして本当にまだ解ってないのか?
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-138.html
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「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/51406/
(産経 05/12 06:12 )
【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して、日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった。報告書は、この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し、現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている。
報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された。「前線地区での日本軍売春宿」と題され、同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている。
この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった。この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し、日米両国の研究者などの間で参照されてきたが、経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった。
報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。
同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。22人の女性は年齢19歳から31歳までで、経営者の占有する資産となった。日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」と記している。
このように報告書では、この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ、経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され、「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている。
報告書によると、この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち、台湾、シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した。女性たちはその後、北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという。(以上)
※ビルマのミッチナ=ミイトキーナ
さすがに、この記事には呆れ果てて、取り上げるのどうしようかと思ったんですが。
この記事にTBしているizaブログの事実誤認には、目に余るものがあり、あるトンデモ系ブログでは「米国議会調査で強制連行の濡れ衣が晴れました」などと、勝手に勝利宣言までしてる方までいました。
頭大丈夫かよ。。。
そもそも、古森氏の紹介した資料ですが、これ新資料でもなんでもなく、日本政府が1992年7月6日、93年8月4日に、それぞれ発表している調査結果で、今までも、小林よしりん、つくる会、産経、正論などが、都合のいい部分だけ抜き出し「金をもらっていたのだから強制ではなく、売春婦だ」と宣伝するのに、さんざん使ってきた米軍資料なんですが。
この人達って、いつもは東京裁判などでの米軍資料の信頼性を批判してませんでしたっけ?
<参考サイト>
ミッチナの慰安所 -- 傲慢漫画家の貧困な想像力
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-mitchina.htm
ミッチナの慰安所業者と「慰安婦」を米軍が取り調べた報告書は、「慰安婦」の待遇が良かった証拠と称して「自由主義史観」派が好んで持ち出す文書です。ここでは小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言』をサンプルとして取り上げますが、彼らがいかに資料中の都合のいい部分だけを取り出して利用しているかがよく分かると思います。ミッチナの慰安所は恐らく数多い慰安所の中でも最も「まし」な部類に属していたでしょうが、同じ報告書を正確に分析するだけで、このミッチナの場合でさえ重大な戦争犯罪/人権蹂躙が行われていたことが判明してます。
アジア女性基金-歴史の教訓とする事業
http://www.awf.or.jp/program/index.html
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』刊行
の第5巻(5.18M)でダウンロードできるPDFファイルに載っています。日本語簡訳はp.113-115、英文はp.177-179です(どちらもAcrobat Readerのページ表示)。最初から最後まで日本政府がまるまる関与、監督してます。
ちなみに、下の写真は同じビルマ戦線のミッチナより更に最前線のラーモ(松山)で保護された慰安婦達である。

弾雨の中を逃げ惑う中でも、日本軍兵士への慰安行為を強いられ、軍人同様に玉砕の身とされようとした、まさに強制された「従軍」慰安婦達であり、古森氏の「まし」な部類の報告例とはあきらかに違うことがわかる。
<この記事を取り上げているブログ>
碧猫さんが「未成年を含む女性をだまして連れてこさせるのを、軍が許可あるいは提案している」と、ツッコミ入れてます。
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[慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について(2)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html
の続きです
電話してから4日も経つのに、産経から連絡がないので、こっちからかけてみました
前回で産経が腐ってることがはっきりし、完全に逃げ切りモードだと分かったので、今回は、質問する内容をあらかじめ用意してたんですが。。。
最悪なことに録音に失敗してしまい、相手の声が「ザーーーザーーー」しか録音できてませんでしたorz
ですから、回答の方は覚えてる範囲で書いてます
結果的に、空白だらけになってしまいましたが、一応更新しときます(^^;)スイマセン
▼産経新聞 読者サービス室 東京 TEL:03-3275-8864
(30代ぐらいの男性←前回と同じ人)
産経:はい、産経新聞・読者サービス室ですけど
オレ:◯◯◯さんって方いるでしょうか?
産経:はい、私ですけど
オレ:こないだ産経新聞の誤報の件で電話したんですけど、どうなりましたかね?
オレ:何日かかってるんでしょうか
オレ:APの記事を確認するだけですよね?
オレ:もう、4日も経ってるんですけど、古森記者に確認すれば、済む話ですよね?
オレ:本当に上の者に伝えてあるんでしょうか?
オレ:具体的には、どのように伝えたんですか
産経:この場ではちょっと…
オレ:前に電話したときに、「いまの所、これが違うという所の記事が、見当たらない」と回答されたんですが、何か根拠になる記述があったということじゃなかったんですか?
オレ:古森記者に確認して、該当する原文の記述を自分のところにFAXかメールで送るだけで済む話なんですけど
オレ:古森記者に電話するだけじゃないですか、1日あれば済む話なんですが
オレ:「米軍の軍命令」があったというのは、世界中の新聞社が報道してない古森記者の独占スクープということで、いいんでしょうか?
産経:(困る)
オレ:該当する記述を提示できないのに、ウェブ上では今も問題の記事が掲載され続けているんですが、間違いは、なあなあで済ますつもりなんでしょうか?
オレ:誤報だった場合、影響力の大きい産経さんの、社会的責任をどう考えているんですか?
オレ:日本新聞協会に産経新聞は入ってるんでしょうか?
産経:はい、入ってますが
オレ:新聞倫理綱領には、報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない、と書いてあるんですが
産経:すいません…そこまでは知りません…
オレ:調査結果の回答があっても、なくても、月曜日に電話くださいね
産経:◯◯さんで、よろしいんですよね
オレ:はい、そうですよ。なかった場合はこちらから電話しますんで
産経:はいわかりました。
(以上)
実際は8分ぐらい話ましたが、簡略化するとこんな感じですかねぇ
今回は、けっこう突っ込んで質問できたと思います
ただ、向こうの回答は、相変わらず「調査結果がまだきてないので、私からは、はっきりしたことをお答えできないんですが…」を、繰り返すばかりで、唯一の朗報は、古森記者のAP記事捏造疑惑の件で「一昨日も、昨日も電話がけっこうかかってきてる」と、もらしたことですかねぇ
産経の偽史を放置すると、禍根を残すことになるので、協力してくださる方がいましたら「グズグズしてると傷を深めますよ」と一言サンケイに電話してあげてください、効果あるかもしれませんヽ(・∀・ )ノ
あと、コメ欄で指摘されたんで、これまでの産経の対応を踏まえ、タイトルを変えてみました
<関連サイト>
日本新聞協会
http://www.pressnet.or.jp/
<産経ウェブは東京からの配信だけだそうです>
読者サービス室 東京 TEL:03-3275-8864
【受付時間】
平日09:00~18:00 土曜09:00~17:00 日祝日休み
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http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html
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[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
↓
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について(2)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html
の続きです
電話してから4日も経つのに、産経から連絡がないので、こっちからかけてみました
前回で産経が腐ってることがはっきりし、完全に逃げ切りモードだと分かったので、今回は、質問する内容をあらかじめ用意してたんですが。。。
最悪なことに録音に失敗してしまい、相手の声が「ザーーーザーーー」しか録音できてませんでしたorz
ですから、回答の方は覚えてる範囲で書いてます
結果的に、空白だらけになってしまいましたが、一応更新しときます(^^;)スイマセン
▼産経新聞 読者サービス室 東京 TEL:03-3275-8864
(30代ぐらいの男性←前回と同じ人)
産経:はい、産経新聞・読者サービス室ですけど
オレ:◯◯◯さんって方いるでしょうか?
産経:はい、私ですけど
オレ:こないだ産経新聞の誤報の件で電話したんですけど、どうなりましたかね?
オレ:何日かかってるんでしょうか
オレ:APの記事を確認するだけですよね?
オレ:もう、4日も経ってるんですけど、古森記者に確認すれば、済む話ですよね?
オレ:本当に上の者に伝えてあるんでしょうか?
オレ:具体的には、どのように伝えたんですか
産経:この場ではちょっと…
オレ:前に電話したときに、「いまの所、これが違うという所の記事が、見当たらない」と回答されたんですが、何か根拠になる記述があったということじゃなかったんですか?
オレ:古森記者に確認して、該当する原文の記述を自分のところにFAXかメールで送るだけで済む話なんですけど
オレ:古森記者に電話するだけじゃないですか、1日あれば済む話なんですが
オレ:「米軍の軍命令」があったというのは、世界中の新聞社が報道してない古森記者の独占スクープということで、いいんでしょうか?
産経:(困る)
オレ:該当する記述を提示できないのに、ウェブ上では今も問題の記事が掲載され続けているんですが、間違いは、なあなあで済ますつもりなんでしょうか?
オレ:誤報だった場合、影響力の大きい産経さんの、社会的責任をどう考えているんですか?
オレ:日本新聞協会に産経新聞は入ってるんでしょうか?
産経:はい、入ってますが
オレ:新聞倫理綱領には、報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない、と書いてあるんですが
産経:すいません…そこまでは知りません…
オレ:調査結果の回答があっても、なくても、月曜日に電話くださいね
産経:◯◯さんで、よろしいんですよね
オレ:はい、そうですよ。なかった場合はこちらから電話しますんで
産経:はいわかりました。
(以上)
実際は8分ぐらい話ましたが、簡略化するとこんな感じですかねぇ
今回は、けっこう突っ込んで質問できたと思います
ただ、向こうの回答は、相変わらず「調査結果がまだきてないので、私からは、はっきりしたことをお答えできないんですが…」を、繰り返すばかりで、唯一の朗報は、古森記者のAP記事捏造疑惑の件で「一昨日も、昨日も電話がけっこうかかってきてる」と、もらしたことですかねぇ
産経の偽史を放置すると、禍根を残すことになるので、協力してくださる方がいましたら「グズグズしてると傷を深めますよ」と一言サンケイに電話してあげてください、効果あるかもしれませんヽ(・∀・ )ノ
あと、コメ欄で指摘されたんで、これまでの産経の対応を踏まえ、タイトルを変えてみました
<関連サイト>
日本新聞協会
http://www.pressnet.or.jp/
<産経ウェブは東京からの配信だけだそうです>
読者サービス室 東京 TEL:03-3275-8864
【受付時間】
平日09:00~18:00 土曜09:00~17:00 日祝日休み
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[慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html
[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
の続きです
産経新聞・東京から電話がきたんですが、前回紹介した、読者サービス室の
“切りたいオーラ全快のヤツ”(30代ぐらい男性)と同一人物だと思われます
5/9 17:10ごろ
(電話が鳴る)
オレ:あ、もしもし
産経:あっもしもし産経新聞の◯◯◯◯ ◯◯◯です~
オレ:はい
産経:あっ、昨日の件でお返事を、ということだったんですけども、一応外信の方にですね、今調査を依頼しておりまして、間違っているとすれば、これは、大問題ですので、え~、お詫びというか、訂正を紙面などで出させていただくということに、させていただいたんですよ
オレ:あ、そうなんですか
産経:ただ、いまの所、これが違うというふうな所の記事が、見当たらないみたいなんですよね
オレ:キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!!
産経:(略)AP通信の記事というのは、新聞のサイトでは全部載っているんですか?
オレ:(この質問に釣られ、また1から古森氏の誤報の説明を、するハメに)
産経:その件について、外信のほうに依頼はしてます、今この電話では、返事がないので、今お答えするというのはできなんですけども
オレ:それ、いつごろ分かるんですか?
産経:う~~~ん~~~(沈黙)分かりしだい、お答え出来ると思うんですが、いつごろというのはお答えできませんけども、間違いがあれば新聞で訂正も出します
オレ:間違いがあればというか、間違いなんですけど
産経:あっあ…(略)また、あの~後日私の方から、お電話をするということがあると思いますんで
オレ:いつごろというのを、はっきりさせてもらいたいんですけど
(つづく)
この続きも録音してはあるんですが、電話の録音機能に一時停止が付いてないんで文字おこすのが、とってもめんどくさい(^^;
なので、すいませんが今日の昼ごろにでも続きをアップします
【追記】
期待を裏切るようで申し訳ないんですが続編です
産経:いつごろというのはお答えできないんですけど
オレ:いつ電話できるか、わからないと言われてもね
産経:今日はとりあえず経過報告という形で
オレ:このままなあなあになって間違ったままになった場合、それはウソの情報になるわけで、それをメディアを使って全国に流されるというのは、全国紙(ほんとはブロック紙並だけど)の産経さんですから、すごく影響力があるわけで、問題ありますよね?
産経:それは、重々承知してます。では、のちほど経過報告をさせていただくということで
オレ:で、いつごろ電話もらえるんですかね?
産経:それはちょっとこの場では、いつごろと言うのは
オレ:必ず確認の電話くださいね
産経:う~~~ん、わかりました
ほんとは、もっと長いやりとりがあり、お互い少しヒートアップぎみでした(反省)
だから
最後に、相手の名前を再度確認したときも、かたくなに「こたえられません」を突き通してきて、こちらもしつこく聞いてあげました
最終的には「◯◯◯です」と言ってましたが、録音したものを確認すると
最初に名乗った名前と、違うじゃ~ん
今回の電凸で感じたのは、産経新聞はAPの記事の「米軍の軍命令」に該当する記述を提示出来てないのに、「いまの所、これが違うというふうな所の記事が、見当たらない」と回答してきましたし、世界中の新聞社が報じた、APの記事には実は「米軍の軍命令と記述されていた」とでも言いたげでした
古森義久記者の独占スクープすごーい(棒読み)
※ こちらのエントリーは電話が入りしだい更新していきます
今後の展開としては「産経がいつ敗北の現実を受け入れるのか」といった感じでしょうか
あと、もっとこうした方がいいとか、この質問をしてくれ、というような方がいましたらコメント欄に書いてください
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[産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html
の続きです
産経新聞・東京から電話がきたんですが、前回紹介した、読者サービス室の
“切りたいオーラ全快のヤツ”(30代ぐらい男性)と同一人物だと思われます
5/9 17:10ごろ
(電話が鳴る)
オレ:あ、もしもし
産経:あっもしもし産経新聞の◯◯◯◯ ◯◯◯です~
オレ:はい
産経:あっ、昨日の件でお返事を、ということだったんですけども、一応外信の方にですね、今調査を依頼しておりまして、間違っているとすれば、これは、大問題ですので、え~、お詫びというか、訂正を紙面などで出させていただくということに、させていただいたんですよ
オレ:あ、そうなんですか
産経:ただ、いまの所、これが違うというふうな所の記事が、見当たらないみたいなんですよね
オレ:キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!!
産経:(略)AP通信の記事というのは、新聞のサイトでは全部載っているんですか?
オレ:(この質問に釣られ、また1から古森氏の誤報の説明を、するハメに)
産経:その件について、外信のほうに依頼はしてます、今この電話では、返事がないので、今お答えするというのはできなんですけども
オレ:それ、いつごろ分かるんですか?
産経:う~~~ん~~~(沈黙)分かりしだい、お答え出来ると思うんですが、いつごろというのはお答えできませんけども、間違いがあれば新聞で訂正も出します
オレ:間違いがあればというか、間違いなんですけど
産経:あっあ…(略)また、あの~後日私の方から、お電話をするということがあると思いますんで
オレ:いつごろというのを、はっきりさせてもらいたいんですけど
(つづく)
この続きも録音してはあるんですが、電話の録音機能に一時停止が付いてないんで文字おこすのが、とってもめんどくさい(^^;
なので、すいませんが今日の昼ごろにでも続きをアップします
【追記】
期待を裏切るようで申し訳ないんですが続編です
産経:いつごろというのはお答えできないんですけど
オレ:いつ電話できるか、わからないと言われてもね
産経:今日はとりあえず経過報告という形で
オレ:このままなあなあになって間違ったままになった場合、それはウソの情報になるわけで、それをメディアを使って全国に流されるというのは、全国紙(ほんとはブロック紙並だけど)の産経さんですから、すごく影響力があるわけで、問題ありますよね?
産経:それは、重々承知してます。では、のちほど経過報告をさせていただくということで
オレ:で、いつごろ電話もらえるんですかね?
産経:それはちょっとこの場では、いつごろと言うのは
オレ:必ず確認の電話くださいね
産経:う~~~ん、わかりました
ほんとは、もっと長いやりとりがあり、お互い少しヒートアップぎみでした(反省)
だから
最後に、相手の名前を再度確認したときも、かたくなに「こたえられません」を突き通してきて、こちらもしつこく聞いてあげました
最終的には「◯◯◯です」と言ってましたが、録音したものを確認すると
最初に名乗った名前と、違うじゃ~ん
今回の電凸で感じたのは、産経新聞はAPの記事の「米軍の軍命令」に該当する記述を提示出来てないのに、「いまの所、これが違うというふうな所の記事が、見当たらない」と回答してきましたし、世界中の新聞社が報じた、APの記事には実は「米軍の軍命令と記述されていた」とでも言いたげでした
古森義久記者の独占スクープすごーい(棒読み)
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前回記事、[慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html
の続きです
古森氏は、こないだのアメリカでのCRS報告書でも、内容を歪めた報道をしたばかりで「組織的強制徴用なし」という見出しでCRS報告書を偏向報道したばかりなんですが
今回もAP通信の原文に「米軍の軍命令」という記述がないのに、見出しに「占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令」と目を引く見出しを付け、意図的な誤報情報を垂れ流し、誤報に気付かない一部の無知なブロガーがさらに誤報を広めるといった悪循環を繰り返しているので
産経に、古森氏の誤報記事を訂正したり、訂正文を掲載するつもりはあるのか電凸してみました
▼産経新聞 読者サービス室 東京 TEL:03-3275-8864
(30代ぐらいの男性)
産経:はい、産経新聞・東京ですけども
オレ:あ、もしもし、あの~ですね、産経ウェブの5月5日付けの記事で、見出しが「占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令」という古森さんの記事なんですが、AP通信の原文を確認したんですが、「米軍の軍命令」というのは書いてないんですが
産経:いえ…そんなことないと思いますよ
オレ:確認したんで間違いないんですが
産経:ちょっと、お待ちください
(記事をさがしにいく)
はい、もしもし、誤報なら大変な事になるので調べてみますよ
オレ:誤報なら記事の修正はしてくれるんでしょうか?
産経:もちろんです
オレ:きちんと上の者に伝えてくださいね
産経:わかりました。ありがとうございました
(ガチャ切り)
ん~猛烈にスッキリしませね。対応した人からは、終始切りたいオーラのようなものを感じましたが、それよりも、大事な確認の電話をくれるよう伝えるのを忘れてしまいました…
この電凸は、大失敗ですね(^^:)
これでは納得できないので、次に大阪に電凸しました
▼産経新聞 読者サービス室 大阪 TEL:06-6633-9066
(50代ぐらい?の男性)
産経:はい、産経新聞・大阪ですけど
オレ:もしもし、あの~ですね、5月5日付けの産経ウェブの国際面の記事なんですけど、AP通信の記事を元に「米軍の軍命令があった」と書いてあるんですが、インターネットでAP通信の記事の原文を確認したところ「米軍の軍命令があった」とは書いてないんで、誤報だと思うんですが
産経:いえ、あの、それは、確認してないんですけど、AP通信の配信した記事をそのまま書いているんで、AP通信の記事が間違ってるということですか?
オレ:いえ、逆なんですけど、産経新聞の記事が間違ってるということなんですけど
産経:(絶句)…産経新聞の方が間違ってるということですか?
オレ:はい、そうです
産経:それは、その、ネットで…
オレ:そうです。ネット上で原文を確認したんですけど
産経:はい、あの、いえ、それは米軍が命令した記述がないと(ry
…それではこちらで確認させてもらいます
オレ:あの、確認したら電話もらいたいんですけど
産経:え~何番でしょうか?
(ここで自分の番号と名前を教え、相手の名前も教えてもらう)
オレ:どれぐらいで、電話もらえますか
産経:え~と、担当部署に確認してからになるんで今日中には電話をさしあげます
オレ:あ、そうですか、ではお願いします
(つづく)
すいません。今日のつづき遅くなりました
回答の方はかなりグダグダだったので、簡略して報告します
(電話が鳴る)
オレ:はい、もしもし◯◯ですけど
産経:あの~電話をいただいた件なんですけども
オレ:あっどうも
産経:アメリカのワシントンにいる古森記者の記事なんで、間違いないと思うんですが
オレ:えっ?(産経クオリティ~に絶句)
産経:これ~あの~ブログかなにかで、ご覧になられたんじゃないんですか?
オレ:いえ、自分で原文を翻訳したんですけど
産経:これね~あの~しかしですね~現地の記者が書いてるんで、間違いないと思うんで(ry
オレ:いや、間違ってるんですけど(キッパリ!)
(以降何を聞いても、「東京の方に聞いてもらわないと…」の一点張りが続く)
産経:あの~これは東京からの記事なんで、あの~大阪の方では分からないんですが
こちらの方でしらべたんですが、ちょっと、明快な回答を出るに至ってないんで
ちょっと申し訳ないんですが、これは、あの~東京からの記事なんで、東京の方でお願いしたいんですが
(てな感じで、産経・東京 TEL:03-3231-7111を教えられる)
オレ:はぁ…こっちに電話すればわかるんですか
産経:ん~ちょっとこちらではわからないんで、東京のほうで確認してもらいたいんですが
オレ:あ…そうですか…わかりました
産経:はい、じゃ~失礼します~
折り返し電話をくれた、おっちゃん!
今まで何調べてたんだよw
しかも、また東京に電話かめんどくせ…
産経新聞 東京 TEL:03-3231-7111
(20代か30代ぐらいの女性)
こちらは、かなり端折って紹介します
また、1から古森氏の誤報記事の説明したところ、APの記事を確認し明日電話をくれるそうです
対応は今日の中で一番良い方でした
今日は以上です
明日は、産経が敗北の現実を受け入れられるのか見物です
<コモリンの捏造記事関連で、おもしろいブログを見つけた>
「双子のネコが木に登る」より
[産経][熱湯浴][リテラシー][iza!]産経古森氏の「誤訳」に舞い上がるizaな人たち
http://d.hatena.ne.jp/atmark-type/20070506/p2
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の続きです
古森氏は、こないだのアメリカでのCRS報告書でも、内容を歪めた報道をしたばかりで「組織的強制徴用なし」という見出しでCRS報告書を偏向報道したばかりなんですが
今回もAP通信の原文に「米軍の軍命令」という記述がないのに、見出しに「占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令」と目を引く見出しを付け、意図的な誤報情報を垂れ流し、誤報に気付かない一部の無知なブロガーがさらに誤報を広めるといった悪循環を繰り返しているので
産経に、古森氏の誤報記事を訂正したり、訂正文を掲載するつもりはあるのか電凸してみました
▼産経新聞 読者サービス室 東京 TEL:03-3275-8864
(30代ぐらいの男性)
産経:はい、産経新聞・東京ですけども
オレ:あ、もしもし、あの~ですね、産経ウェブの5月5日付けの記事で、見出しが「占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令」という古森さんの記事なんですが、AP通信の原文を確認したんですが、「米軍の軍命令」というのは書いてないんですが
産経:いえ…そんなことないと思いますよ
オレ:確認したんで間違いないんですが
産経:ちょっと、お待ちください
(記事をさがしにいく)
はい、もしもし、誤報なら大変な事になるので調べてみますよ
オレ:誤報なら記事の修正はしてくれるんでしょうか?
産経:もちろんです
オレ:きちんと上の者に伝えてくださいね
産経:わかりました。ありがとうございました
(ガチャ切り)
ん~猛烈にスッキリしませね。対応した人からは、終始切りたいオーラのようなものを感じましたが、それよりも、大事な確認の電話をくれるよう伝えるのを忘れてしまいました…
この電凸は、大失敗ですね(^^:)
これでは納得できないので、次に大阪に電凸しました
▼産経新聞 読者サービス室 大阪 TEL:06-6633-9066
(50代ぐらい?の男性)
産経:はい、産経新聞・大阪ですけど
オレ:もしもし、あの~ですね、5月5日付けの産経ウェブの国際面の記事なんですけど、AP通信の記事を元に「米軍の軍命令があった」と書いてあるんですが、インターネットでAP通信の記事の原文を確認したところ「米軍の軍命令があった」とは書いてないんで、誤報だと思うんですが
産経:いえ、あの、それは、確認してないんですけど、AP通信の配信した記事をそのまま書いているんで、AP通信の記事が間違ってるということですか?
オレ:いえ、逆なんですけど、産経新聞の記事が間違ってるということなんですけど
産経:(絶句)…産経新聞の方が間違ってるということですか?
オレ:はい、そうです
産経:それは、その、ネットで…
オレ:そうです。ネット上で原文を確認したんですけど
産経:はい、あの、いえ、それは米軍が命令した記述がないと(ry
…それではこちらで確認させてもらいます
オレ:あの、確認したら電話もらいたいんですけど
産経:え~何番でしょうか?
(ここで自分の番号と名前を教え、相手の名前も教えてもらう)
オレ:どれぐらいで、電話もらえますか
産経:え~と、担当部署に確認してからになるんで今日中には電話をさしあげます
オレ:あ、そうですか、ではお願いします
(つづく)
すいません。今日のつづき遅くなりました
回答の方はかなりグダグダだったので、簡略して報告します
(電話が鳴る)
オレ:はい、もしもし◯◯ですけど
産経:あの~電話をいただいた件なんですけども
オレ:あっどうも
産経:アメリカのワシントンにいる古森記者の記事なんで、間違いないと思うんですが
オレ:えっ?(産経クオリティ~に絶句)
産経:これ~あの~ブログかなにかで、ご覧になられたんじゃないんですか?
オレ:いえ、自分で原文を翻訳したんですけど
産経:これね~あの~しかしですね~現地の記者が書いてるんで、間違いないと思うんで(ry
オレ:いや、間違ってるんですけど(キッパリ!)
(以降何を聞いても、「東京の方に聞いてもらわないと…」の一点張りが続く)
産経:あの~これは東京からの記事なんで、あの~大阪の方では分からないんですが
こちらの方でしらべたんですが、ちょっと、明快な回答を出るに至ってないんで
ちょっと申し訳ないんですが、これは、あの~東京からの記事なんで、東京の方でお願いしたいんですが
(てな感じで、産経・東京 TEL:03-3231-7111を教えられる)
オレ:はぁ…こっちに電話すればわかるんですか
産経:ん~ちょっとこちらではわからないんで、東京のほうで確認してもらいたいんですが
オレ:あ…そうですか…わかりました
産経:はい、じゃ~失礼します~
折り返し電話をくれた、おっちゃん!
今まで何調べてたんだよw
しかも、また東京に電話かめんどくせ…
産経新聞 東京 TEL:03-3231-7111
(20代か30代ぐらいの女性)
こちらは、かなり端折って紹介します
また、1から古森氏の誤報記事の説明したところ、APの記事を確認し明日電話をくれるそうです
対応は今日の中で一番良い方でした
今日は以上です
明日は、産経が敗北の現実を受け入れられるのか見物です
<コモリンの捏造記事関連で、おもしろいブログを見つけた>
「双子のネコが木に登る」より
[産経][熱湯浴][リテラシー][iza!]産経古森氏の「誤訳」に舞い上がるizaな人たち
http://d.hatena.ne.jp/atmark-type/20070506/p2
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占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615
(2007/5/5 産経)
【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。
AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。
(以下略 全文はソース)
>日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き
AP通信の報道では、こんなこと書いてないし、自己のイデオロギーを絡めて報道しすぎです。
当ブログでは、こないだもこちらの記事で取り上げてますが、終戦わずか3日後に日本政府(内務省)は、進駐してくるアメリカ軍のための慰安所を作るよう、8月18日付けで「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒」を出し、各都道府県の警察に対して米兵慰安所の急設を指示しています。
慰安所の設置方法は、警察が指導し、おもに業者にやらせる方法で「特殊慰安施設協(RAA)」を設立しています。
だいたい、「日本だけが悪いんじゃないんだ~!」といった3Kの報道が、逆効果なうえ日本のイメージを失墜させ続けているだけだと、何度言ったら・・・・
↓5/4付けAP通信全文の翻訳は2ちゃんにネ申がいたので拝借しました。
「ニューヨーク・タイムズ」より
GIs Frequented Japan's 'Comfort Women'
GIも日本の「慰安婦」を頻繁に利用
(機械翻訳)GIは日本の'従軍慰安婦'によく(しばしば)行きました。
http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Americas-Comfort-Women.html?_r=2&oref=slogin&oref=slogin
WW2中に行われた、慰安婦を兵士に供するするという忌まわしき行いには、知られざる続編があった。無条件降伏後、日本は米軍兵士に対して似たような慰安婦システムを用意していたのである。
この度初めて英訳された史料によれば、アメリカ当局は、女性が売春を行うことを強制されていたことを知りながら、売春システムを作ることを許可していた。彼らは日本軍がアジアで占領地の女性に対して行ってきたひどい行いを十分に熟知していたにもかかわらず。
1946年の春、マッカーサー将軍がこれらの公的売春宿を閉鎖するまで、数万の女性が米兵に安価なセックスを提供すべく雇用されていた。
これらの史料によれば、これらの売春宿は45年8月以降、米兵が大挙流入してくる前に急遽設立されたもの。
「残念ながら、われわれ警察は占領兵のために売春宿を用意せざるを得なかった。」と、茨城県警の公式記録は伝える。「この政策の狙いは、プロの女性を防波堤とすることで、一般の婦人および少女を守るという点にあった。」
この命令は、1945年8月18日、日本の特使が降伏文書の作成のためにフィリピンへと発つ前日に、内務省から発せられた。
茨城県警は直ちに作業に取り掛かった。適当な施設は県警の独身寮しかなく、急遽これが売春宿へと改装され、海軍からベッドなどが用意された。20人の女性が集められ、9月20日に開業した。
「予想されたとおり、開業と同時に売春宿は大盛況となった(elbow to elbow)。慰安婦は当初昨日まで敵であり、言語も人種も異なる人間を相手にすることに抵抗を示し、また大きな不安を感じていた。しかし彼女らの給料は高く、次第にかつ平和に彼らは仕事を受け入れていった。」
日本政府の資金で運営されていたRAA(娯楽保養組合)の援助の下、警察当局と東京のビジネスマンは売春宿のネットワークを設立した。45年8月28日には厚木に占領軍の先遣隊が到着し、その日の夕方までには先遣隊の兵士はRAAの売春宿を見つけていた。
「私は2~3人のRAAの上役とその売春宿へ駆けつけ、そこに500人から600人の列が出来ていることに驚きました」と、RAAの広報担当主任のカブラギセイイチは1972年の回顧録に書き残している。アメリカの憲兵はこれら兵士の統制をするのに必死だった。
文民政府と警察によって作られ、かつ管理されていたにもかかわらず、そのシステムは日本軍がアジアに作り上げた慰安婦のそれと同じだった。
カブラギによれば、アメリカのGIは料金を先払いしてチケットとコンドームを受け取った。最初のRAA売春宿であるコマチエンは38人の女性を擁していたが、余りの需要に直ちに100人まで増員した。それぞれの女性が1日に15人から60人の兵士の相手をした。
アメリカの歴史化ジョン・ドウアーは、彼の著作「敗北を抱きしめて:第2次大戦の日本の軌跡」の中で、1セッション(短いもの)で15円、タバコひと箱の半分ほどの値段だったと記している。
カブラギは、これらの需要の急増によって、ライセンスされた売春婦以外の女性に対してまでも募集をかけざるを得なくなったと記している。
コマチエンで働いていた19歳の女性(親族を戦争で失っていた)、タキタナツエは、事務員募集の広告を見て応募した。彼女はそこで慰安婦以外の仕事の空きは無いと聞かされ、その仕事を受けるよう説得された。
占領軍が撤退した1952年以降に書かれたカブラギの回顧録によれば、タキタは売春宿での仕事を始めた数日後、列車に身を投げたという。
「最も悲劇的な被害者は、『新しき日本の女性』を求む、という公募に応えてやってきた、何の経験も無い女性達だった」と彼は書いている。
1945年の終わりまでに、35万人の米兵が日本に駐留していた。この間、RAAは最大で7万人の売春婦を米兵のために雇用していた、とカブラギは書いている。可能性は必ずしも否定されていないが、日本人以外の女性が海外からこのRAAシステムのために集められたという明確な証拠は存在しない。
広島平和研究所の歴史学教授であるタナカトシユキは、カブラギの残した数字を立証することは困難だと警告している。しかし、タナカ氏は同時にRAAというのはこの時期に存在した売春宿の一部に過ぎず、私的な売春宿の数はこれらを大きく上回るだろうとも付け加えた。
田中の発見した史料によれば、アメリカの占領当局は、米兵を客とする慰安婦のためのペニシリンを日本政府に供与し、RAAの売春宿の近くに予防施設を設営し、当初は、米兵がそれらの施設を利用することを容認していた。
占領当局は、このGI向けの慰安婦システムが、日本軍兵士のためのそれに類似していることを理解していた。
1945年12月6日、GHQ厚生保険局のシニアオフィサーであったマクドナルド中佐のメモによれば、アメリカの占領軍は日本の慰安婦が多くの場合強制されていたことを認識していた。
「その少女は、彼女の両親の経済的困窮とその両親らの懇請、そして彼女自身の「自分が犠牲になっても家族を助けたい」という思いのために、売春宿と契約せざるを得なかったのだ」と彼は書いている。「しかしながら、われわれの情報提供者は、以前ほどではないにせよ都会部には奴隷として売春を強制される例がまだ存在する、と信じていた。」
従軍牧師からの警告(文句)と、この慰安婦問題が米国本土に伝わることへの懸念から、1946年3月25日に、マッカーサーは全ての売春宿を非合法化した。RAAはすぐに解散した。
マッカーサーの懸念はモラルの問題にとどまらなかった。タナカによれば、この時点までに米兵の4分の1以上が性病に罹患していたのである。
「全国的な売春宿の非合法化は15万人以上の女性の職を奪った」とタナカは2002年の性奴隷についての本に書いている。「その多くは非合法での売春を続けたが、その多くが性病と貧困に苦しんだ。」
海外からの集中的な圧力を受けて、1993年に日本政府は、アジアにおいて売春宿を運営し、女性に兵士への奉仕を強いたことに一定の役割を果たしたことについて謝罪した。この問題は依然として議論の的となっている。
1月に、カリフォルニアの下院議員マイク・ホンダは日本の性奴隷の使用に対する非難決議を提議した。これは、慰安婦に対する保証を行うための私的機関として、93年の謝罪の2年後に設立されたアジア女性基金の解散を前に、日本に対して新たにプレッシャーをかける思惑もあってのことであった。
この基金は、5万人とも20万人とも言われる、日本軍のために奴隷化された多くの女性のうち、フィリピン・韓国・台湾の285人の女性に対してのみ補償を行った。それぞれの女性は200万円を受け取った。オランダ人とインドネシア人の女性の一部も支援を受けた。
この基金は3月31日に予定通り解散した。
この基金のエグゼクティブディレクターであったワダハルキは、この基金の創設は日本のリーダー達の態度に重要な変化があったことを意味すると同時に、正義を行うべしという日本のサイレントマジョリティの意思の反映であると語った。また、この基金は私的なものではあれど、日本政府は46億円を支出したメインスポンサーであったという点も彼は指摘した。
しかし同時に、かれはこの基金が予想を下回ったということを認めた。「ほとんどの女性は名乗り出なかった」と彼は語った。
日本女性に対する搾取を認識し、解決するための第一歩としては、この基金は完全に失敗だった。彼女ら日本女性にはその資格があったにも関わらず、誰一人として補償を求めては来なかったのだ。
「日本の女性は誰一人として名乗り出なかった」とワダは語った。「彼女らが自身の意思と関係なく強いられていたのだと言える、と感じない限り、名乗り出ることは出来ないと彼女らは感じている。」
-------------------
以上で翻訳終わり。英語としてはすごく平易な文章だから、そんなに誤訳は無いと思う。まぁ、GHQは命令したのではなく、強制などがあることを知っていたにもかかわらず容認した、またそれが牧師らによって公になりそうだったので慌てて閉鎖した、というあたりでしょうかね。
(以上)
こちらは4/26付けAP通信
オーストラリアの全国紙「ザ・オーストラリアン」
Japan 'gave GIs comfort women'
(機械翻訳)日本は'GIのために従軍慰安婦を与えました'
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,20867,21624981-2703,00.html
http://tinyurl.com/ywmyaa
<参考サイト>
米軍慰安施設問題での疑問に答えます
http://www.haruko.gr.jp/policy/heiwa/beigun-ianfu.html
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http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615
(2007/5/5 産経)
【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。
AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。
(以下略 全文はソース)
>日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き
AP通信の報道では、こんなこと書いてないし、自己のイデオロギーを絡めて報道しすぎです。
当ブログでは、こないだもこちらの記事で取り上げてますが、終戦わずか3日後に日本政府(内務省)は、進駐してくるアメリカ軍のための慰安所を作るよう、8月18日付けで「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒」を出し、各都道府県の警察に対して米兵慰安所の急設を指示しています。
慰安所の設置方法は、警察が指導し、おもに業者にやらせる方法で「特殊慰安施設協(RAA)」を設立しています。
だいたい、「日本だけが悪いんじゃないんだ~!」といった3Kの報道が、逆効果なうえ日本のイメージを失墜させ続けているだけだと、何度言ったら・・・・
↓5/4付けAP通信全文の翻訳は2ちゃんにネ申がいたので拝借しました。
「ニューヨーク・タイムズ」より
GIs Frequented Japan's 'Comfort Women'
GIも日本の「慰安婦」を頻繁に利用
(機械翻訳)GIは日本の'従軍慰安婦'によく(しばしば)行きました。
http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Americas-Comfort-Women.html?_r=2&oref=slogin&oref=slogin
WW2中に行われた、慰安婦を兵士に供するするという忌まわしき行いには、知られざる続編があった。無条件降伏後、日本は米軍兵士に対して似たような慰安婦システムを用意していたのである。
この度初めて英訳された史料によれば、アメリカ当局は、女性が売春を行うことを強制されていたことを知りながら、売春システムを作ることを許可していた。彼らは日本軍がアジアで占領地の女性に対して行ってきたひどい行いを十分に熟知していたにもかかわらず。
1946年の春、マッカーサー将軍がこれらの公的売春宿を閉鎖するまで、数万の女性が米兵に安価なセックスを提供すべく雇用されていた。
これらの史料によれば、これらの売春宿は45年8月以降、米兵が大挙流入してくる前に急遽設立されたもの。
「残念ながら、われわれ警察は占領兵のために売春宿を用意せざるを得なかった。」と、茨城県警の公式記録は伝える。「この政策の狙いは、プロの女性を防波堤とすることで、一般の婦人および少女を守るという点にあった。」
この命令は、1945年8月18日、日本の特使が降伏文書の作成のためにフィリピンへと発つ前日に、内務省から発せられた。
茨城県警は直ちに作業に取り掛かった。適当な施設は県警の独身寮しかなく、急遽これが売春宿へと改装され、海軍からベッドなどが用意された。20人の女性が集められ、9月20日に開業した。
「予想されたとおり、開業と同時に売春宿は大盛況となった(elbow to elbow)。慰安婦は当初昨日まで敵であり、言語も人種も異なる人間を相手にすることに抵抗を示し、また大きな不安を感じていた。しかし彼女らの給料は高く、次第にかつ平和に彼らは仕事を受け入れていった。」
日本政府の資金で運営されていたRAA(娯楽保養組合)の援助の下、警察当局と東京のビジネスマンは売春宿のネットワークを設立した。45年8月28日には厚木に占領軍の先遣隊が到着し、その日の夕方までには先遣隊の兵士はRAAの売春宿を見つけていた。
「私は2~3人のRAAの上役とその売春宿へ駆けつけ、そこに500人から600人の列が出来ていることに驚きました」と、RAAの広報担当主任のカブラギセイイチは1972年の回顧録に書き残している。アメリカの憲兵はこれら兵士の統制をするのに必死だった。
文民政府と警察によって作られ、かつ管理されていたにもかかわらず、そのシステムは日本軍がアジアに作り上げた慰安婦のそれと同じだった。
カブラギによれば、アメリカのGIは料金を先払いしてチケットとコンドームを受け取った。最初のRAA売春宿であるコマチエンは38人の女性を擁していたが、余りの需要に直ちに100人まで増員した。それぞれの女性が1日に15人から60人の兵士の相手をした。
アメリカの歴史化ジョン・ドウアーは、彼の著作「敗北を抱きしめて:第2次大戦の日本の軌跡」の中で、1セッション(短いもの)で15円、タバコひと箱の半分ほどの値段だったと記している。
カブラギは、これらの需要の急増によって、ライセンスされた売春婦以外の女性に対してまでも募集をかけざるを得なくなったと記している。
コマチエンで働いていた19歳の女性(親族を戦争で失っていた)、タキタナツエは、事務員募集の広告を見て応募した。彼女はそこで慰安婦以外の仕事の空きは無いと聞かされ、その仕事を受けるよう説得された。
占領軍が撤退した1952年以降に書かれたカブラギの回顧録によれば、タキタは売春宿での仕事を始めた数日後、列車に身を投げたという。
「最も悲劇的な被害者は、『新しき日本の女性』を求む、という公募に応えてやってきた、何の経験も無い女性達だった」と彼は書いている。
1945年の終わりまでに、35万人の米兵が日本に駐留していた。この間、RAAは最大で7万人の売春婦を米兵のために雇用していた、とカブラギは書いている。可能性は必ずしも否定されていないが、日本人以外の女性が海外からこのRAAシステムのために集められたという明確な証拠は存在しない。
広島平和研究所の歴史学教授であるタナカトシユキは、カブラギの残した数字を立証することは困難だと警告している。しかし、タナカ氏は同時にRAAというのはこの時期に存在した売春宿の一部に過ぎず、私的な売春宿の数はこれらを大きく上回るだろうとも付け加えた。
田中の発見した史料によれば、アメリカの占領当局は、米兵を客とする慰安婦のためのペニシリンを日本政府に供与し、RAAの売春宿の近くに予防施設を設営し、当初は、米兵がそれらの施設を利用することを容認していた。
占領当局は、このGI向けの慰安婦システムが、日本軍兵士のためのそれに類似していることを理解していた。
1945年12月6日、GHQ厚生保険局のシニアオフィサーであったマクドナルド中佐のメモによれば、アメリカの占領軍は日本の慰安婦が多くの場合強制されていたことを認識していた。
「その少女は、彼女の両親の経済的困窮とその両親らの懇請、そして彼女自身の「自分が犠牲になっても家族を助けたい」という思いのために、売春宿と契約せざるを得なかったのだ」と彼は書いている。「しかしながら、われわれの情報提供者は、以前ほどではないにせよ都会部には奴隷として売春を強制される例がまだ存在する、と信じていた。」
従軍牧師からの警告(文句)と、この慰安婦問題が米国本土に伝わることへの懸念から、1946年3月25日に、マッカーサーは全ての売春宿を非合法化した。RAAはすぐに解散した。
マッカーサーの懸念はモラルの問題にとどまらなかった。タナカによれば、この時点までに米兵の4分の1以上が性病に罹患していたのである。
「全国的な売春宿の非合法化は15万人以上の女性の職を奪った」とタナカは2002年の性奴隷についての本に書いている。「その多くは非合法での売春を続けたが、その多くが性病と貧困に苦しんだ。」
海外からの集中的な圧力を受けて、1993年に日本政府は、アジアにおいて売春宿を運営し、女性に兵士への奉仕を強いたことに一定の役割を果たしたことについて謝罪した。この問題は依然として議論の的となっている。
1月に、カリフォルニアの下院議員マイク・ホンダは日本の性奴隷の使用に対する非難決議を提議した。これは、慰安婦に対する保証を行うための私的機関として、93年の謝罪の2年後に設立されたアジア女性基金の解散を前に、日本に対して新たにプレッシャーをかける思惑もあってのことであった。
この基金は、5万人とも20万人とも言われる、日本軍のために奴隷化された多くの女性のうち、フィリピン・韓国・台湾の285人の女性に対してのみ補償を行った。それぞれの女性は200万円を受け取った。オランダ人とインドネシア人の女性の一部も支援を受けた。
この基金は3月31日に予定通り解散した。
この基金のエグゼクティブディレクターであったワダハルキは、この基金の創設は日本のリーダー達の態度に重要な変化があったことを意味すると同時に、正義を行うべしという日本のサイレントマジョリティの意思の反映であると語った。また、この基金は私的なものではあれど、日本政府は46億円を支出したメインスポンサーであったという点も彼は指摘した。
しかし同時に、かれはこの基金が予想を下回ったということを認めた。「ほとんどの女性は名乗り出なかった」と彼は語った。
日本女性に対する搾取を認識し、解決するための第一歩としては、この基金は完全に失敗だった。彼女ら日本女性にはその資格があったにも関わらず、誰一人として補償を求めては来なかったのだ。
「日本の女性は誰一人として名乗り出なかった」とワダは語った。「彼女らが自身の意思と関係なく強いられていたのだと言える、と感じない限り、名乗り出ることは出来ないと彼女らは感じている。」
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以上で翻訳終わり。英語としてはすごく平易な文章だから、そんなに誤訳は無いと思う。まぁ、GHQは命令したのではなく、強制などがあることを知っていたにもかかわらず容認した、またそれが牧師らによって公になりそうだったので慌てて閉鎖した、というあたりでしょうかね。
(以上)
こちらは4/26付けAP通信
オーストラリアの全国紙「ザ・オーストラリアン」
Japan 'gave GIs comfort women'
(機械翻訳)日本は'GIのために従軍慰安婦を与えました'
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,20867,21624981-2703,00.html
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米慰安婦決議案 共同提案議員100人超す
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/50386/
(2007/5/4)
米下院で審議中の慰安婦問題に関する対日非難決議案について、共同提案議員の届け出が3日、102人に達した。決議案採択を求める在米韓国人組織「慰安婦問題ワシントン連合」(徐玉子会長)などでは、共同提案議員100人の獲得を目標に掲げて陳情を繰り返していた。
共同提案議員は、日米首脳会談をはさんだ週明け後、約10人が新たに届け出た。提案者のマイク・ホンダ議員は、慰安婦問題に関して「申し訳ない思い」を表明した安倍晋三首相の発言を「首相の個人的所感だ」として、日本政府の公式謝罪を求めて多数派工作を急いでいた。
下院外交委員会(ラントス委員長)での決議案処理にあたっては、共同提案議員100人の届け出が採決実施に向けた判断基準との見方が議会周辺で強まっていた。ホンダ議員は決議案の委員会採決を5月中にめざす構えをみせている。(ワシントン 山本秀也)
(以上)
「慰安婦決議案」共同提案議員
http://thomas.loc.gov/cgi-bin/bdquery/z?d110:HE00121:@@@P
わかりやすく、日付順にしてみました。
↓サンケイ・古森氏、アメリカPBS テレビ出演で工作活動後!
Rep Ruppersberger, C. A. Dutch [MD-2] - 4/17/2007
Rep Weiner, Anthony D. [NY-9] - 4/17/2007
Rep Wynn, Albert Russell [MD-4] - 4/17/2007
↓
Rep Shays, Christopher [CT-4] - 4/23/2007
Rep Solis, Hilda L. [CA-32] - 4/23/2007
Rep Davis, Artur [AL-7] - 4/23/2007
↓
Rep Hinchey, Maurice D. [NY-22] - 4/24/2007
Rep Jones, Stephanie Tubbs [OH-11] - 4/24/2007
Rep Markey, Edward J. [MA-7] - 4/24/2007
Rep Roskam, Peter J. [IL-6] - 4/24/2007
Rep Berman, Howard L. [CA-28] - 4/24/2007
Rep Brady, Robert A. [PA-1] - 4/24/2007
Rep Calvert, Ken [CA-44] - 4/24/2007
↓
Rep Davis, Susan A. [CA-53] - 4/26/2007
Rep DeLauro, Rosa L. [CT-3] - 4/26/2007
Rep Lowey, Nita M. [NY-18] - 4/26/2007
↓安倍総理、初訪米で工作活動後!
Rep Carson, Julia [IN-7] - 5/1/2007
Rep Cummings, Elijah E. [MD-7] - 5/1/2007
Rep Ellison, Keith [MN-5] - 5/1/2007
Rep Nadler, Jerrold [NY-8] - 5/1/2007
Rep Platts, Todd Russell [PA-19] - 5/1/2007
↓
Rep Andrews, Robert E. [NJ-1] - 5/2/2007
Rep Farr, Sam [CA-17] - 5/2/2007
Rep Ferguson, Mike [NJ-7] - 5/2/2007
Rep Lewis, John [GA-5] - 5/2/2007
米国メディアを悪用し、誤魔化そうとした努力は認めるけど・・・・
25人も増えてるなら、逆効果だったみたいだね。
<従軍慰安婦問題 関連ニュース>
安倍初訪米 地元メディア総スカン
http://www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/295.html
(2007/5/4 一部抜粋)
初訪米を前に安倍は異例のメディア戦略をやった。ニューズウィーク誌、ウォール・ストリート・ジャーナル紙、CNNテレビと全米をカバーする3媒体を指名し単独インタビューに応じた。ほかの媒体には、ひと足早くワシントン入りした広報担当の世耕補佐官が対応。万全の態勢で臨んだはずだった。
それでも、案の定、小手先の戦略は通用しなかった。
インタビューを録画したはずのCNNが安倍の訪米当日に取り上げたのは、駐留米軍の問題と来年の大統領選の話題ばかり。変なパフォーマンスで有名になった小泉前首相の後継をアピールする算段は完全に狂ってしまった。
ニューズウィーク最新号は、安倍インタビューを掲載しているが、「a staunch nationalist」(筋金入りの国粋主義者)と紹介。従軍慰安婦の写真もデカデカと載せているから、逆効果もいいところだった。
ニューヨーク・タイムズ紙は、もっと辛辣だ。「ブッシュと絆を強めようとも、引き続き性奴隷(=Sex Slave 、従軍慰安婦のこと)問題は安倍につきまとう」(4月29日付)とバッサリ。「性奴隷問題に関する下院決議をかわすという目的を果たせたかどうかは疑わしい」と書いていた。
(以下略 全文はソース)
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(2007/5/4)
米下院で審議中の慰安婦問題に関する対日非難決議案について、共同提案議員の届け出が3日、102人に達した。決議案採択を求める在米韓国人組織「慰安婦問題ワシントン連合」(徐玉子会長)などでは、共同提案議員100人の獲得を目標に掲げて陳情を繰り返していた。
共同提案議員は、日米首脳会談をはさんだ週明け後、約10人が新たに届け出た。提案者のマイク・ホンダ議員は、慰安婦問題に関して「申し訳ない思い」を表明した安倍晋三首相の発言を「首相の個人的所感だ」として、日本政府の公式謝罪を求めて多数派工作を急いでいた。
下院外交委員会(ラントス委員長)での決議案処理にあたっては、共同提案議員100人の届け出が採決実施に向けた判断基準との見方が議会周辺で強まっていた。ホンダ議員は決議案の委員会採決を5月中にめざす構えをみせている。(ワシントン 山本秀也)
(以上)
「慰安婦決議案」共同提案議員
http://thomas.loc.gov/cgi-bin/bdquery/z?d110:HE00121:@@@P
わかりやすく、日付順にしてみました。
↓サンケイ・古森氏、アメリカPBS テレビ出演で工作活動後!
Rep Ruppersberger, C. A. Dutch [MD-2] - 4/17/2007
Rep Weiner, Anthony D. [NY-9] - 4/17/2007
Rep Wynn, Albert Russell [MD-4] - 4/17/2007
↓
Rep Shays, Christopher [CT-4] - 4/23/2007
Rep Solis, Hilda L. [CA-32] - 4/23/2007
Rep Davis, Artur [AL-7] - 4/23/2007
↓
Rep Hinchey, Maurice D. [NY-22] - 4/24/2007
Rep Jones, Stephanie Tubbs [OH-11] - 4/24/2007
Rep Markey, Edward J. [MA-7] - 4/24/2007
Rep Roskam, Peter J. [IL-6] - 4/24/2007
Rep Berman, Howard L. [CA-28] - 4/24/2007
Rep Brady, Robert A. [PA-1] - 4/24/2007
Rep Calvert, Ken [CA-44] - 4/24/2007
↓
Rep Davis, Susan A. [CA-53] - 4/26/2007
Rep DeLauro, Rosa L. [CT-3] - 4/26/2007
Rep Lowey, Nita M. [NY-18] - 4/26/2007
↓安倍総理、初訪米で工作活動後!
Rep Carson, Julia [IN-7] - 5/1/2007
Rep Cummings, Elijah E. [MD-7] - 5/1/2007
Rep Ellison, Keith [MN-5] - 5/1/2007
Rep Nadler, Jerrold [NY-8] - 5/1/2007
Rep Platts, Todd Russell [PA-19] - 5/1/2007
↓
Rep Andrews, Robert E. [NJ-1] - 5/2/2007
Rep Farr, Sam [CA-17] - 5/2/2007
Rep Ferguson, Mike [NJ-7] - 5/2/2007
Rep Lewis, John [GA-5] - 5/2/2007
米国メディアを悪用し、誤魔化そうとした努力は認めるけど・・・・
25人も増えてるなら、逆効果だったみたいだね。
<従軍慰安婦問題 関連ニュース>
安倍初訪米 地元メディア総スカン
http://www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/295.html
(2007/5/4 一部抜粋)
初訪米を前に安倍は異例のメディア戦略をやった。ニューズウィーク誌、ウォール・ストリート・ジャーナル紙、CNNテレビと全米をカバーする3媒体を指名し単独インタビューに応じた。ほかの媒体には、ひと足早くワシントン入りした広報担当の世耕補佐官が対応。万全の態勢で臨んだはずだった。
それでも、案の定、小手先の戦略は通用しなかった。
インタビューを録画したはずのCNNが安倍の訪米当日に取り上げたのは、駐留米軍の問題と来年の大統領選の話題ばかり。変なパフォーマンスで有名になった小泉前首相の後継をアピールする算段は完全に狂ってしまった。
ニューズウィーク最新号は、安倍インタビューを掲載しているが、「a staunch nationalist」(筋金入りの国粋主義者)と紹介。従軍慰安婦の写真もデカデカと載せているから、逆効果もいいところだった。
ニューヨーク・タイムズ紙は、もっと辛辣だ。「ブッシュと絆を強めようとも、引き続き性奴隷(=Sex Slave 、従軍慰安婦のこと)問題は安倍につきまとう」(4月29日付)とバッサリ。「性奴隷問題に関する下院決議をかわすという目的を果たせたかどうかは疑わしい」と書いていた。
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いやぁ、この記事は午前中に気付いたんですが、今日は体調も悪いし、あまりに低脳なガス抜き電波なんでスルーするつもりでしたが、pr3さんが花岡信昭をいじってるんで軽く便乗しちゃいます。
↓読んでたら、産経のせいでマジ気絶しそうになりました。
【花岡信昭の政論探求】さあ、河野氏の出番だ
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070502/shs070502000.htm
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070502/shs070502000.htm&date=20070507224324

>新聞記者をやってきたが「事実を踏まえて記事を書く」のは基本中の基本
↓これが真実
最近の公文書調査の結果でも、旧日本軍による強制連行を示す公文書はどっさり存在した。
「解決不能」より
http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20070426/p1
そして、それ自体、“単なる商行為”であったといのも大ウソであった。
無責任な発言繰り返す安倍捏造や産経は「狭義の強制性」に論点をすり替えようと工作活動をしてきたが、そのたびに海をこえた全世界で、反安倍・反歴史修正主義者報道が巻き起こり、世界各国は正式な抗議を表明してきた。
にもかかわらず
「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」や「日本会議国会議員懇談会」のメンバーは、「河野談話」をガス抜きの道具として悪用し、産経が「強制連行などなかった」とギャーギャーと騒ぎ立て、元慰安婦達へ責任をかぶせる信じられない発言を今だに繰り返している。
歴史修正主義者達の、史実を歪め悪意に満ちた工作活動は、CRS報告書でも明らかだが、アメリカではとっくに見透かされ、日本のイメージを失墜させ続けている。
事態を悪化させる主犯的な役割を果たしている5大バカは
安倍捏造、中山成彬、中川昭一、下村博文、3K新聞であり、責任は極めて重大である。
訪米した安倍捏造は、ブッシュに
捨てないで!
と泣き付き謝罪したそうだが
アメリカでは今月中に安倍捏造謝罪決議案が可決される予定だ。
ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?
ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?
壺晋晋晋晋晋晋壺
晋晋晋壺壺晋晋晋晋壺三
晋壺三 '晋晋壺晋晋晋晋晋i
晋壺晋 ' ̄ ̄ 三晋晋壺晋'
晋晋晋 U U 三晋晋
晋壺 I U / ∥ \U 三晋晋
I晋 / /) (\\ 晋晋
丶,I //● I I ●\\U 壺
I │ // │ │ \_ゝ │ I
ヽ I /│ │ヽ I/
│ U ノ(___) ヽU │
│ I I │
I I I
i ├── ┤ │
\ /  ̄ ヽ ,/
ドウスル?/ ̄ ̄ ̄ヽヽ_ 'ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽドウスル?
ドウスル?| そ… | | それは……ッッッ |ドウスル?
ドウスル?ヽ____./ ヽ__________./ドウスル?
<関連ブログ>
日本の前途と歴史教育を考える議員の会メンバー一覧
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20070312#1173771451
「黙然日記」より
[watch][iza]花岡信昭氏が面白い
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070502/11780
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↓読んでたら、産経のせいでマジ気絶しそうになりました。
【花岡信昭の政論探求】さあ、河野氏の出番だ
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070502/shs070502000.htm
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>新聞記者をやってきたが「事実を踏まえて記事を書く」のは基本中の基本
↓これが真実
最近の公文書調査の結果でも、旧日本軍による強制連行を示す公文書はどっさり存在した。
「解決不能」より
http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20070426/p1
そして、それ自体、“単なる商行為”であったといのも大ウソであった。
無責任な発言繰り返す安倍捏造や産経は「狭義の強制性」に論点をすり替えようと工作活動をしてきたが、そのたびに海をこえた全世界で、反安倍・反歴史修正主義者報道が巻き起こり、世界各国は正式な抗議を表明してきた。
にもかかわらず
「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」や「日本会議国会議員懇談会」のメンバーは、「河野談話」をガス抜きの道具として悪用し、産経が「強制連行などなかった」とギャーギャーと騒ぎ立て、元慰安婦達へ責任をかぶせる信じられない発言を今だに繰り返している。
歴史修正主義者達の、史実を歪め悪意に満ちた工作活動は、CRS報告書でも明らかだが、アメリカではとっくに見透かされ、日本のイメージを失墜させ続けている。
事態を悪化させる主犯的な役割を果たしている5大バカは
安倍捏造、中山成彬、中川昭一、下村博文、3K新聞であり、責任は極めて重大である。
訪米した安倍捏造は、ブッシュに
捨てないで!
と泣き付き謝罪したそうだが
アメリカでは今月中に安倍捏造謝罪決議案が可決される予定だ。
ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?
ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?ドウスル?
壺晋晋晋晋晋晋壺
晋晋晋壺壺晋晋晋晋壺三
晋壺三 '晋晋壺晋晋晋晋晋i
晋壺晋 ' ̄ ̄ 三晋晋壺晋'
晋晋晋 U U 三晋晋
晋壺 I U / ∥ \U 三晋晋
I晋 / /) (\\ 晋晋
丶,I //● I I ●\\U 壺
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ヽ I /│ │ヽ I/
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ドウスル?/ ̄ ̄ ̄ヽヽ_ 'ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽドウスル?
ドウスル?| そ… | | それは……ッッッ |ドウスル?
ドウスル?ヽ____./ ヽ__________./ドウスル?
<関連ブログ>
日本の前途と歴史教育を考える議員の会メンバー一覧
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20070312#1173771451
「黙然日記」より
[watch][iza]花岡信昭氏が面白い
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070502/11780
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